見出し画像

さよなら港区男子

 類は友を呼ぶ。ゆえに、自分の成長とともに自分の周りにいる人って変わるんだなあと感じる。
 私がなぜ港区男子に囚われていたのかを、私の生い立ちや彼らの生態も含めて書き記したい(※便宜上港区男子と言っていますが気を悪くされる方がいたらごめんなさい...)。

忍耐の美学

 子どもの頃から、人生とは修行・忍耐を重ねることだと思っていた。小学生の頃はクラシックバレエ、中学では吹奏楽、高校では合唱と、とにかく練習が苦しくても耐え忍び寸暇を惜しんで努力を重ねることを善とする思考が当たり前だと思っていた。
 高校時代は全国大会常連のスパルタ合唱部にいて圧倒的に勉強時間が足りなかった。にも関わらず無謀にも国公立上位の大学に挑戦したのは、「これだけ部活で苦労を重ねたのだから報われるはず」という根拠のない自信があったからだ。当然、歌をいくら頑張っても学力アップには繋がらない。第一志望には受からず、努力の方向が違ったら意味がないということを知った。
 大学時代からはもっと自由に生きたいと思っていたけれど、実家の経済状況が悪化し、「私が家族を支えなければ」という強い使命感や両親に対する罪悪感に囚われていた。それで就職先も激務と聞きながら高収入の業界を選んだ。
 人生に忍耐はつきものだと思っていたけれど、私がそう思っているから常にそういう状況に置かれていたのだと思う。引き寄せの法則だ。

こじらせ恋愛の原因

 大学時代に好きになった人もまた、自分の心を抑圧するタイプの人が多かった。
 初めての彼氏は自分のことより周りの人のことばかり考えてボロボロになっていた。自分を大事にして、と何度も彼に言ったけれど、私自身も自分のことを大事にできていなかったから、そういう人に巡り会ったのだと思う。そもそも自分のことは透明人間みたいに思えて全く見えていなかった。

 社会人になってから、さらにこじらせた人たちとばかり付き合ってきた。その中で同業他社のコンサル男子が何人かいて、どの人とも長続きしなかったのだが、ちょっとおもしろいほど似通っていたので紹介したい。サンプル数は多くないが、あるあるなのだろうか。

~コンサル港区男子の生態~
・港区でも駅近の高級マンションに住む
→港区ブランドへの憧れ+多忙につき移動時間を極限まで減らしたい。家賃が高いので必然的にハードワークになり、時間にも心にも余裕がない
・部屋から東京タワーがちょっとだけ見える
→いつかは東京タワーの全貌が見えるようなタワマンに住み豪華な生活をしたい、そのために稼ぐ
・家の中がキレイ
→簡単に女の子を家に呼ぶ。下心もあるが部屋を通して自分の社会的ステータスを認めてもらいたいのでは
・無趣味
→時間がない。もしくは、常に仕事のことを考えているので仕事が趣味。趣味というほどではないが休みがあれば山・海・温泉に癒しを求める
・情緒が死んでる
→心のスイッチが常時オフ、他人の気持ちも考えない。そのおかげで仕事のストレスにも気づかずにいられる

 このように、彼らもまた自分の心を抑圧するタイプの人だった。情緒が死んでる・人の気持ちが考えられない人がまともな恋愛をできるはずがなく、長続きしなかった(音信不通・ドタキャン・その他諸々)。彼らは比較的高収入なので、こういう人だと割り切って結婚する人もいるのかもしれないけれど(それこそ港区女子?)私には心が通い合わない恋愛や結婚は耐えられないと思った。

 私が彼らに惹かれたのは、私自身がそうだったからだと思う。同じような辛さを抱えているから共感できる部分が多く、一緒にいればお互いに励まし合い頑張れるような気がしていた。
 当時の私は仕事がなにより優先で、とにかく成長することが至上命題だった。平日は疲れ果て、土日は寝ることしかできず、趣味をやる気も起きない有様だった。
 そして、仕事の中では自信のなさを周りの人達から承認されることで補おうとしていた。特に親から一人前の大人として扱ってもらいたい気持ちが強かった。当時は実家暮らしで、1人で生活する力があると言いきれないのがもどかしかったが、彼氏や友人とも仕事の話ばかりして無意識に見栄を張り、会社では上司・先輩・後輩から見くびられないように虚勢を張り、自分の弱みは誰にも打ち明けることができなかった。
 また、自分が世の中を知らなさすぎることに漠然と恐怖があり、恋愛に限らず自分の知らないことを教えている人・自分にないスキルを持つ人に惹かれた。自分にない価値観をおもしろいと思ったり、自分の足りないところを補完してくれる関係を望んだりしていた。

自分の変化と人間関係の変化

 働き始めて5年が経つが、ようやく本当の自分が見えてきた。無意識に意地や見栄を張っていて、さすがに疲れちゃったのかも。
 一人暮らしを始めて、自分一人で生活できるという自信がついた。仕事でも昇進し、コンサルと名乗ることに少しばかり自信が持てるようになり、経済的余裕が増えた。
 生活面でも経済面でも自由が広がったので、心の声に耳を澄ませながら、やりたいことを次々とやった。しばらく離れていた音楽を始めたり、漫画を読んだり、映画を観たり。新しいコミュニティに参加していろんな人に出会う中で、他の業界のことや様々なキャリアのありかたを知って、視野が広がった。情緒に溢れ仕事や趣味を通して自分のやりたいことを実現する人たちにたくさん出会い、私自身を見つめ直すことができた。

 すると、仕事で一緒になる人達も「コンサルたるものかくあるべし」と修行・忍耐を押し付けてくるような人がいなくなり、「楽しく気持ちよく働くのが一番」という先輩・後輩に囲まれるようになった。成長はしようと思ってするものじゃなくて、気づいたらしているものだよね、と肩の力を抜くことができるようになった。できない自分や成長できていない自分を叩くことも減ってきた。周りの人と比べたりせず、等身大の自分で話せる場面が増えてきた。

 こんな風に自分の変化に伴って人間関係も変化してきたので、恋愛観も変わってきた。
 これまでは仕事ができる人・仕事にやりがいを感じて頑張っている人がかっこいいと強く思っていたけれど、最近はそういう人に恋愛感情を抱く前に心配するようになった。自分の心に蓋をしたままだとストレスに気づかないので、いつか潰れてしまわないかとひやひやしてしまう。その人たちと付き合ったところで感情スイッチがオフなのだから、自分が求めるような情緒的な恋愛はできないということもわかる。朝コーヒーを入れて香りを楽しんだり、一緒にゆっくりと映画を観たり、なんて生活は彼らに期待できない。仮に映画を観たとしても情報として処理されているだけで感想らしい感想は出てこないのだろう。
 それから、自分一人で生きていける自信から派生して、知らないことを恥や恐怖だと思わなくなった。井の中の蛙であったとしても、それを誰かに非難されたとしても、自分が幸せを感じられることが一番だと思う。興味のない情報や不安を駆り立てるような情報をあえて取り入れる必要はない。だから、パートナーに対しても自分に足りないものを補うことや自分を成長させてくれることを求めなくなった。恋愛観は様々だから否定するつもりはないが、恋愛に成長を求めようとしても、その時点で感情より思考が優位になっていて、ちょっと不自然な感じがする。何気ない日常の一つひとつに幸せを感じ、感情の機微を大事にしながら人間らしく生きる人と一緒にいられたらいいなと思うし、私もそうなりたい。

 報われる保証もないのに自ら好んでいばらの道を進む必要はない。また、忍耐とはある意味受動的だ。タロットカードに「吊るされた男」というカードがあるが、この男は本当は逃げようと思えば逃げられるのにそうしないということで、停滞や現状維持を意味するらしい。そう、取りうる選択肢は耐えること以外にもあるはずで、目の前の環境や出来事を盲信的に受け入れることと、自らの意志で選択して受け入れることは違う。
 あの港区男子たちの心のスイッチが今も切られたままなのかはわからない。放置しているといつか限界が来てしまうから、早く気づけるとよいけれど、無意識的にでも彼らが決めた道なのだから、私は知らない。私が変に助けよとしても傲慢なお節介になってしまうだろう。

 なぜこんな文章を書こうかと思ったかというと、いつぞやのバレンタインデーに音信不通状態だった某港区男子の家のポストにチョコレートを投函した苦い思い出が蘇ったからです。あれどうしたんだろ、捨てたんかな、食べたんかな。ポストに入ることを優先した結果数百円のチョコレートを選んだので、どっちでもいいや笑。飲み会のネタを作ってくれてありがと。さよーなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?