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たまには子どもに戻って

note初心者なるみです。
タグで自分に似た思いを持つ人の記事が読めて、早速面白いな!と思いました。
さて、今回は自分の中の"コドモ"について書いてみようと思います。

人間、ものすごくストレスが溜まると、一息ついた時にものすごく子供っぽいことしたくなるんですよね(私だけでしょうか)。
子どもの頃によく歩いた道を歩きたくなったり、自販機の紙パックのジュースが飲みたくなったり、デパートの展示物の中に飛び込みたくなったり。

ひいては、子どもの頃にやりたくてもできなかったことをやりたくなる。
夜更かしゲーム、漫画本の大人買い、晩ご飯代わりのパフェ、、。
うちはお金がないこともあってなかなかモノを買ってもらえなかったですし、母が体型を気にして食べ物をセーブさせられていたので、余計にそう思うのかもしれません。まあ、ある意味感謝しなきゃいけないですが、、。

親との思い出が懐かしくて昔を懐古する気持ちもあるんでしょうけど、
確実に、自分の中に"コドモ"が残っている。
普段は表に出てこないものの、ストレスで抑圧されればされるほどに"コドモ"が我慢できなくなり、緊張が切れた瞬間を狙って暴れ出すんです。
アダルトチルドレン、なんて言葉もありますね。自分もそうなのかもしれないと思いながらも、私は自分の不出来を親のせいにしてしまってるだけなんじゃないかと思ってしまう。仮に親のせいにしたとして、ならば自分は立派な親になれるかというと、そんな自信は全くない。20代になれば親も人間だから完璧じゃないってことくらいわかりますしね。そもそも人間は完璧になりようがないと頭ではわかっているのに、無意識に自分や周りの人間に完璧を求めてしまっているような気がします。

でも、アダルトチルドレンでなくともどんな人間だって、年齢に関係なく、心の中に"コドモ"が残っているんじゃないかと思うんです。心のバランスを取るために。
大企業の社長も、政治家も、有名な俳優も、役所のお堅そうな人も、皆わがままを口に出さないだけで、仕事はサボりたい、できるだけ楽して欲しいものを手に入れたい、面倒なことは投げ出したいと思っているんじゃないでしょうか。
歳を取ると反対に、子ども返りしていく場合もありますね。スーパーでクレームつけるおばあさん、優先席を譲ってもらえないとキレるおじいさん。アルツハイマー病も、脳の制御機能が効かなくなった状態ですから、自分の中の"コドモ"が抑制できずに表出しているものと言えます。

そう考えると、大人とは理性なのか?自分の言いたいことを我慢するのが大人なのか?なんて思いますが、きっとそんなんじゃないですよね。
大人とは何なのか、きっと百人百通りの答えがあると思いますし、少なくともまだ私はその答えにたどり着けていない気がします。成人してからまだ数年しか経っていないですしね。

ただ一つ言えるのは、たまには自分の中の"コドモ"の言うことを聞き入れて、とんでもなく馬鹿げたことにも付き合ってあげることが大事だということだと思います。疲れている時や余裕がない時ほど"コドモ"の声が大きくなるのは、自分の心が死なないように守ってくれる存在だからなのかもしれません。人間の心って案外急に折れてしまうものですから。
"コドモ"の要求することの多くは、子どもの頃の自分には難しかったことでも、大人になった自分にとってはちっぽけなことだったりします。大人げないなと思いながらそんなちっぽけなことやくだらないことに付き合うことで、今の日常を離れて自分が忘れかけていた童心を取り戻し、自分を縛りつけていたものから解き放たれるわけです。

とはいえ、大人になった自分がやってみて親が止めてた理由がわかることもありますね。
私は今日突然カプリコを食べたくなって、早く食べたい一心でパッケージを開けたら、コーンのかすが飛散し、かぶりつくたびにコーンとチョコのかすが飛び散り、飛び散ったチョコのかすは溶けて机を汚してしまったり、、。
子どもの頃に母がなかなかカプリコを買ってくれなかったのは、部屋が汚れるからなんだな、、と思いました。笑
今は親の気持ちを全然理解できていないのだと思いますが、自分にも子どもができて親になったら初めてわかることがたくさんあるんでしょうね、、。

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