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山盛りの餃子

ビールと餃子。何も作りたくない日はこれに限る。

冷凍餃子の進化には目を見張るものがある。多分日本で一番有名な味の素の餃子は、いまさら私が説明するまでもないかもしれないが、油いらずで蒸すための水を入れる必要もない。ただ並べて中火で焼くとパリパリの羽つき餃子が焼き上がる。すごい…!これを作った人は本当に天才。

最寄り駅の近くには餃子店があって、時間が遅くなければ残っている生餃子を買える日もある。餃子店の餃子はこれが看板商品なだけあって、至極おいしい。お気に入りはしそ餃子で、青しそが混ざったタネの餃子を酸味の効いた味噌ダレにつけて食べる。しその爽やかさと薄めの皮で一つひとつはとても軽い。10個でも20個でもパクパク食べてしまう。

私は一番上の兄とその下3姉妹という4人兄妹の3番目だ。母はいつも6人家族の食事の世話に追われていた。そして、典型的な亭主関白だった我が家では、父が飲み会などで不在の夜に、母が反動で極力手を抜くということが発生した。
(ちなみに母を責めるつもりは毛頭ない。私も母に似て手を抜けるところは抜きまくっている)

父が夕食に帰らない日のメニューは、たいていマグロのたたき丼かお好み焼き、あるいは焼き餃子の『セルフサービス』だった。

母は必要な材料を買ってきて、子どもたちが各自自分の夕食を用意する。マグロのたたき丼は、母がパックで買ってきたマグロのたたきを白米に乗せるだけという、一人暮らしの大学生のようなご飯だ。
お好み焼きの日は、母がキャベツとネギを切るところまでやっておいてくれて、各自好きなだけ粉と卵を混ぜて焼いた。

餃子はというと、もちろんゼロから作りはしない。母は決まって、1パック24個入りのチルド餃子を買ってくる。それも、兄妹に一人1パックで、4パック買ってくるのだ。高校生の兄にも、小学生の私にも、一人1パック。それぞれが1パックずつ順番に、家に一つしかないフライパンを使って焼いて食べた。一人ずつしか焼けないので、食卓は囲まない。各々、自分のタイミングで焼いて食べる。

父はこの光景を知らないかもしれないが、これが我が家の当たり前だった。

高校生になって、餃子の日は餃子だけを24個食べるという話を友人にしたらものすごく面白がられた。「餃子の日は他に何も食べないよ?ご飯もいらない。餃子だけでお腹いっぱいになるし。」という話は、友人にとって衝撃的だったらしく、それ以来しばらくネタにされた。
私は高校生になって初めて、一般的に餃子は食べても一度に5個程度で、他にご飯や味噌汁や野菜のおかずと一緒に食べるものだということを知った。
ちなみに、餃子が家庭で作れる料理だということもこの時始めて知った。それまでチルドの餃子しか知らなかったので、手作りできるものだと思わなかったのだ。

我が家の餃子文化の特異性について母に話したら笑っていた。私もなんだか可笑しくて笑ったのを覚えている。沢山の料理が並ぶ理想的な食卓には程遠いけれど、母のたまの息抜きが山盛りの餃子で確保されるなら、こんなに幸せなことはない。

そんなこんなで、私は今も餃子は餃子だけで、山盛り食べる。ここにビールが加われば、完璧なのだ。



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