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『グッドバイ、バッドマガジンズ』

『グッドバイ、バッドマガジンズ』を観てきた。

Twitterに「編集部の再現度が高い」というようなコメントと一緒に流れてきて、条件反射で飛びついた。これだから、Twitterはやめられないってばよ。なくならないでくれ。

もともとは、昨年に新宿で一週間限定で上映されていて、反響を受けて全国でも順次上映となっていったようだ。京都ではみなみ会館1択。訪れるのは『ベイビーわるきゅーれ』以来となってしまったけれど、このなんとも言えない微妙な立地にアクセスしやすいという、類まれなる好条件をもっと活かすべきなのかもしれないと思い始めた。観終わってから振り返って思うに、これは「文化」の話なので、翻ってこういうミニシアターもなくならないでくれ、と思ってしまうのだった。実に勝手な話だけれど。ここはいい場所だよ。全体的に建物がお洒落だし、外の階段を使って2階のシアターへ向かう趣きなんかもなかなかだ。

編集部は編集部でも、これは成人男性向け雑誌の編集部の話である。有り体に言えば「エロ本」をつくっている部署ということになる。そこに新卒で配属された森詩織を通して、「かつて」コンビニに置かれていたエロ本が辿ったその「行く末」を見ることになる物語だ。そう、このエロ本を取り巻く状況は、既に「終わっている」。特に奇跡が起きて甦ったりもしない。ただの事実だからだ。それがエロ本であろうがなかろうが関係はなく、詩織が愛読して憧れたサブカル誌は物語の序盤で休刊になっている。

「編集部」をキーワードにして飛びついてはいるものの、それはトラウマをえぐりにいく自傷行為に近い。わざわざ夜行バスで東京まで会社説明会に赴いて、「こんな斜陽産業に今から入ろうとするやつはまともではない(意訳)」という話をされたのは何年前の話だったか。名だたる大型書店も次々と閉店の憂き目にあっている。状況がよくなるわけがない。真綿で首を絞められるような状態がずっと続いている。説明会で放たれた煽りに近い言葉は、けだし真実で、まともでなんかいられるはずがないのだ。「業界全体が死んでるんですよ」と作中で言った人物は「まとも」と評されることになるが、ロクな結末を迎えていない。

一方で、面接で希望に満ち溢れた顔を見せていた詩織は、予想だにしていない環境に面食らいながらも、そこでしたたかにサバイブする。みんな大好きお仕事モノのポジティブな側面だ。やったぜ。わからないなりにこだわりを持って書いたコピーが「俳句かよ」と一蹴されるのがよかったな。「お前がどう感じてどう思うか」を発揮するポイントは、そこじゃないんだよな、と。性に関することなんて、一番自己開示がしにくい部分なのに、そこを突き詰めることを要求される。そこから始まって、最終的に芽生えた矜持とはなんだったのか。詩織が編集部の面々に激昂した後、「私、怒ってるんですか?」となったあの瞬間に、恥と外聞以外の捨ててはいけないものがあった気がする。

釣り堀で詩織の上司たちが遠い目をして話していた業界話が、結局すべてだったのかもしれない。今は編集といっても流れ作業みたいなものだから、可哀そうだ、というような話だ。かつてはそこにも「文化」があったと。そういう話である。立ち読み防止シールがなければ、というような話もあった。なければ、中身で勝負できたのに、と。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど、その可能性を許容するのが「文化」を醸成する土壌のあるべき姿であるとは思う。

一人また一人と編集部を去っていくけれど、去るにせよ残るにせよ「どうしてそこで働いていたのか」は登場人物それぞれを通して多角的に描かれる。それでも働くこと、当たり前だけれど、そもそも生活があって家族がいること、そして、性にまつわる愛憎も絡めて。「バッドマガジンズ」が確かに担っていたであろう側面を、消臭スプレーをまき散らすようにしてなかったことにされた「文化」を、他人事ではない気持ちで追想することができた。

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