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5.愛食へのモチベーション

カメラロールにあったきれいめな写真を放出しながら、今日はなぜ愛食を広めたいのかについてなぶり書きする。

1.自分がやりたくてやってきたことの真ん中だったから

畑に、魅力的なものはすでにある。
それが伝わっていないのがもったいないし、
農業の課題はそこなのでは?
大学3年生のとき、農学部で学び、
座学で飽き足らず農のサークルを
つくって直接畑に赴くようになった。
そんな中でわたしが感じたこと。

畑を中心に繰り広げられる地域のつながり、
食物が育つ感動、
それをいただく感謝、
お腹から感動するおいしさ、
自然に対する学び、
それを重ねた農家さんの哲学にふれること。

畑に、すでに十分ある魅力を伝えられるようになりたい。
これが自分のスタート地点であり夢だ。

愛食は農のすでにある魅力を伝えていくこと、そして作り手と食べ手の境界線を溶かしていくことでもある。
自分が描いた夢を愛食の旗の中で叶え続けられる。


2.ブランディングをして気づいた、食べ手、忙しすぎじゃ。

仕事として農業のブランディングをはじめて、農家さん側についてその畑がすでにもつ魅力が伝わるよう努めてきた。そうして一定の両思いを生み出した自負はある。
でも一方でいくら作り手側と努力をしても、受け取るべき食べ手側があまりに忙しく生きすぎて、耳を傾ける余裕がある人がそもそも少ないように感じた。
ここから向き合わないと、この先も魅力的な食があったとしても広がりにくい。
なぜこんなにもみんな忙しそうなのか。
1つは今の資本主義社会のジレンマ。コテンラジオでも話していたが、自分もっている時間を換金することで資本は作れる。資本を追い求めると自分の時間の多くを仕事に当てればいい。だから忙しいほうに向かってしまう。わたしも若手のとき心当たりがある。
そして日本の教育にも紐づく評価制度。他者からの承認をもってしないと自己肯定できないことからつい求められる通りに生きてしまう。自己犠牲して食を削ってすり減らしても承認を求めて仕事に向かってしまう。

そこにさらに共働き。キャリアの分断がしにくく子供が幼く手がかかる時期から両立しなければならない。思い通りにいかないこどもと、予定通りを求められる仕事を組み合わせるのは至難の業だ。

だから、もっと食べる人側が心の余裕をもって生きられる、ごきげんな生き方から提案したいと思った。
実は時間がないとはしょっていた食にその提案価値があったのだ。
自分に関係ないいいものに耳を傾ける余裕はない。でもこの慌ただしい自分を変えるためにあるものは喉から手が出るほど求めてる。
だからその文脈を繋ぐことにしたのだ。
求めているもの、足元にあるよ〜ってね。

3.愛を広めることが使命だから

最後はわたしがなぜ生きているのかって話。
一昨年度だったか、知人の紹介ではじめてサイキック能力のある方にわたしの魂を見ていただいた。その時に、わたしの魂の目的(今世生まれた理由)は「愛を広めること」と教えていただいたとき、今まで自分が思考してきたこと、もがいてきたことがすべてカチッと繋がった気がした。心が震えるような、なんとも表現しがたい深い感動に出逢い、コアが言語化されたことで一層自分が何を目指して生きるべきなのかが分かった。

今は一部の政治家や資本家の権力がものを言ってしまう世の中だ。でも権力より愛のエネルギーが優位になった世界を目撃したい。
蹴落として、競争して、のし上がる、とかじゃなくて、思い合って、わけ合って、伸ばし合う世界がいい。

愛食はまず自分を満たし、愛をわけていく生き方の起点になるもの。

だから愛食をひろめることが私らしいやり方で自分の魂の目的を叶える手段だと信じている。

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