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6.愛食と自分らしさ

愛食と「らしく生きる」には深いつながりがあると考えている。

愛食をすることで自分らしさを大切にできるようになる。
ここがブランドの助産師と名乗り、らしさを発掘価値化することをナリワイにする私が愛食を推す理由にもなっている。

なぜか。

健康に育てる=本来のらしさをひきだす

農家と対話してきて分かったことがある。
農産物を健康に育てるということが限りなく「そのいのち本来の魅力をひきだす」こととイコールだということだ。
人参なら人参らしく、ぶどうならぶどうらしく。
同じ農産物でも品種があって、その品種らしく。

フルーツトマトがどんどん増えているように、農産物をおいしくするという方向性として「糖度をあげる」というのはひとつの方向性としてある。

ここでいう本来の魅力が引き出されたおいしさというのは、もちろん甘いもあるのだが、もう少し複雑だ。旨味とかその農産物としての味が濃いという感じ。
一言では言い表せない、お腹から感動するおいしさ。

健康に育てたから本来の魅力が引き出されるのか、
本来の魅力を引き出すから健康なのか、因果の順序は分からないがここに相関があるとわたしは農業から学ばせていただいた。

ここに相関があるから、愛食をする人は、感激するのだ。
本来のポテンシャルすごいなー、と。
〇〇ってこんなにおいしかったんだ!と。

この体験が自分自身への「勇気」という価値に変わる。

まだまだ自分もできることがある。
いのちはこんなに輝ける。

愛食から自分に応用できる学びを受け取ることができる。
だって食はいのちで、わたし達もいのちだから。
いのちとしての学びを得られるのだ。

全員が一発の愛食でこの学びにまで至るとは思わない。
が、愛食を重ねることでこの学びには到達していく。

とくに食べ比べることが有効で、
品種が違うだけでこんなに違うんだ〜
など差異に気づいていくとそれぞれ本来の魅力があると理解していく。

いのちの学びがあるから、愛食はいいのだ。
味わって感じて食べることは、時間を区切ってくれる。
忙しない毎日は流れるように過ぎていく。
間に入る食を愛食にすると、時間に区切りがつく。
そこに自分の心との対話が生まれる。

いったん時間が限られ、心にマインドが向く時間も生まれるから学びが自分に染みていく。

単純に食べておいしい!わーい!
と瞬発的にごきげんになれるだけでなく、
いのちを輝かせていこうという勇気をもらうということろに愛食がごきげんに貢献すると考える理由がある。

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