見出し画像

笑顔で子育てなんてできるわけがない

子どもが6歳、4歳、1歳のときに、建売で住んでいた家が狭くなり(高度成長期の建売なので造りが粗悪でもあった)思い切って建て直すことにした。

少しだけの貯金を頭金にして、今より大きな家にしたい。
設計は人に頼むとお金がかかるから自分で方眼ノートに素案を書く。
書いていくと、夢は膨らむ。
3階建てにしようかな?
クローゼットは多めにしようかな?
しかし、予算の少なさから断念する箇所が出てくる。断念したプランのほうが多い。

夫は、お母さん(わたし)に任せたよと言ったきり、設計の提案には反対しなかった。
狭い敷地に目一杯の大きさで、ひとが住む最低限の間取りにはなった。
その間、建築会社に何度も足を運ぶ。
住宅金融公庫とも何度も連絡を取る。
建て直す間の仮住まいを探す。大家さんに挨拶に行く。
家を取り壊す。
役所に出かける、等などすることがいっぱい。

子どもはそんな忙しさのなかで育っていく。

毎日戦争のようだ。
自分が親からされてイヤだったことは子どもには味合わせたくない、と思っていたのに、ついつい怒鳴る。
叱りはじめると止まらなくなる。
子どもが眠ると寝顔に向かって謝る。
ごめんよ……ダメなお母さんだね。

翌日、前の夜に懺悔したことも忘れ、同じことの繰り返し…。

仮住まいへの引っ越しは、
当時乗っていたタウンエースで
家具などを大方運び込んだ。
夫と、わたしのふたり。
引越し業者には頼まなかった。
だってお金かかるもん。
それにしても什器のなんと多いことか。結構処分したけれど、後から溢れるように物が無限に
出てくるには辟易した。

そんな中でも子どもは育っていく。
土日は必ず家族で外へ遊びに出かけていたし、泊まりで旅行もした。

毎日寝る前には子ども3人に絵本を読んで聞かせていたが、わたしのほうがエネルギー切れとなり、読みながら寝落ちしたことが何度もあった。

家を取り壊して更地にして地鎮祭を行った。
こんな狭い敷地に思い通りに家が建つのかしら…と不安になる。

基礎工事や建前が終わり、内部の造作まで、当時は大工さんにお茶出しをしていた。
毎日、ポットにコーヒーなどを作って出しに行く。
建築の進捗状況を見るのも楽しみだが、これも大変だった。
順々に壁紙や床の素材など細かいことも建築会社と決めていく。

そうしていても子どもは育つ。

長女が小学1年生に、長男が(年中からの入園)幼稚園に、次女が日中は手許に残った。
しばらくの間、長女の通学の送りを夫が請け負ってくれた。
帰りはわたしが迎えに行った。
長男の送迎も。

数カ月後、外構を残して家が完成。
登記の書類だの、支払いだの、事務手続きも続く。

今度は仮住まいから新居への引っ越し。夫が力持ちでよかった。(と、褒めておいた)
またタウンエースに家具を分解し載せ、新居で組み立てる。
重たい婚礼ダンスが今度は基礎を上げたことで、さすがに夫と二人では持ち上がらず、その日にたまたまいた水道工事のお兄さんに手伝ってもらいようやく搬入。
こまごました什器を再び運び込む。

転居の日を迎えた。

窓も大きくしたし、壁も白くした。部屋中が明るく、ヒノキのいい匂いが充満していた。

その日まで子どもたちも元気でいてくれた。子どもたちもウキウキするらしく、はしゃいでいた。

そう、このために家を建て直したんじゃないの。
疲れでイライラし、ブチ切れて怒ったこと。
簡単な食事が多かったこと。
まあ、許せ。許せ。

その日の夜、家族全員で真新しい浴槽に浸かった。
一番小さい次女はほぼ横向きで、みんなにダッコされているような姿だった。
みんなうれしくて満面の笑顔だった。

それからしばらくして…

子どもを叱る、怒鳴る、が再開!

そうよ、笑顔で子育てなんてできるわけがない!






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?