帰れる場所のような存在
数年前に一度読んだマンガを読み返していたら、絵も描写もことば選びも美しくて儚くて、本当に「その」通りだった。
ヤマシタトモコ「違国日記」。
ひとりで過ごす時間が好きな方だと思う。
本、お笑い、音楽、映画、まちあるき、カフェ、どれも好き。お店にひとりで入ることを厭わないし、足が向くままに、気の向くままに動けるのは、ラクで楽しい。
月に1回友人と会って話す時間があったら十分。そのひとときで全てが分かるなんて言わないけど、相手の表情や言葉遣い、雰囲気を感じ取って、以前と異なろうと同じだろうと「ああ、やっぱりこの人なんだよな」と安心する。そしてまたひとりで過ごす日々に戻る。
ただ、いつも通りにいかないことがある。
緊張だとか不安みたいなものの気配を感じる。いつもならひとりで対峙するなり逃げるなりできるのに、それができない。
そういうとき、決まって頭に浮かぶのは「恥ずかしい過去の自分」も知っている友人。弱い自分を知っているあの人たちは、ことば数が少なかろうと、他の人と比べて会う頻度が少なかろうと、私を受け止めてくれる。
まあるく包み込んでくれる人、ひっそりと見守ってくれている人、それぞれのかたちで自分を許容してくれる人がいるんだと思えるのは、当たり前のことではない。相手がどう思っているかなんて知らないけど、あの人たちの存在はどうしたって私には必要だ。
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昨晩、そんな気持ちで19歳の頃からの友人に電話した。「君がいてくれてよかった」とはぐらかさずに伝えた。受け止めて、嬉しいと言ってくれた。
生身の人間を久しぶりに感じたひとときだった。
20220615 Written by NARUKURU
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