見出し画像

玄米握り

「明るい水」というエッセイ集を、繰り返し読んでいる。神奈川県真鶴町にある、道草書店の中村道子さんが書かれた本だ。

真鶴は、5年ほど前に知ってからずっと惹かれている土地だ。雑誌で紹介されていた真鶴の、港町を一望する風景や、細い路地が入り組んだまちなかの様子は、ひと目見てすとんとこころに入ってきた。以降、真鶴に関わる事柄はなんとなく追うようになる。

「なぜか気になるが縁はない」土地にある、面白そうな本屋ということで道草書店の存在を知った。その店主さんがご自身のお店のことを書いたエッセイ集。すぐに手に取った。

小説のようにエッセイを書くんだな、と思った。感情を直接的には書かない。そのとき見えていた風景、周囲の人のふるまいをつぶさに記す。時間軸も自由に行き来する。それぞれのエッセイのタイトルを見ても、内容はまったく想像できない。

楽しいとかだけでない、こころの奥の奥を覗くような文章もたくさんあった。ひとつの表現も取りこぼしたくなくて、何度も確かめるように読んだ。

忙しい町、というエッセイで「好きではなかったけど、沢山食べた」という一文が登場する。

食の記憶というと「おいしかった」「楽しかった」「元気が出た」など、ポジティブな内容と一緒に語られることが多いように思う。でも、好きでなくても食べなければいけないことはたくさんある。とりあえずで口に押し込んだご飯が、沢山ある。

私にとって、好きではなかったけど沢山食べたものはなんだろうと考える。

食卓の野菜率が高かったのが、小学生の頃くらいまでは嫌だったような気がする。メインディッシュで肉がどんっと出てきたり、スーパーで買ったお刺身がずらりと並んだりするのが憧れだった。ただ、「好きではなかった」と言うより、「おいしかったけど、他所の家と比べて違うことが恥ずかしかった」という方が正しい。

ぽんっと思い出されたのが玄米ご飯。中学生のとき、胃腸の調子を崩しがちな私には「食物繊維が豊富だから」と玄米が毎食出されていた。台所には、母と兄弟用の白米と、父と私用の玄米が並んでいた。ちなみに父は、謎の健康志向を発揮することがままあって、喜んで玄米を食べていた。

玄米は、嫌いじゃないけど白米の方がおいしかった。一杯目は必ず玄米で、二杯目は白米でもいいと許しが出ることもあったので、こっそり一杯目は少なめに盛り付けて、二杯目の白米チャンスを狙った。

まずくはなかったけど好きでもなかった玄米ご飯。でも、あの日食べた玄米握りは、すごくすごくおいしかった。

その日、私は学校を早退した。その頃は毎日頭痛や吐き気の症状があって、早退するか遅刻していくかが日常。休むことは、ほとんどなかった。給食は保健室で食べていた。

お昼を食べずに家に帰る。親に迎えに来てもらったのが少し遅かったのか、帰ってからすぐにベッドで寝ていたのか覚えていないけれど、昼下がり、夕方と言うには早い時間に、私は居間でぼうっとしていた。自宅からは、川を挟んで向かい側に学校が見える。そろそろ部活の時間かなと考えていた。バスケ部に所属していたけど、その頃は練習にまったく参加できなかった。

私に「玄米でよかったらお握り作るけど、いる?」と母が尋ねる。ご飯を食べていなかったので、うんと答える。玄米の梅握りを、2個。お茶と一緒に出してくれた。

あのとき食べた玄米握りは、おいしかった。玄米っておいしかったんだなと思った。あの頃の記憶は曖昧な部分も多いのだけど、玄米握りのことはずっと覚えている。

好きではなかったけど食べていた玄米ご飯。
じんわりとおいしかった、玄米握り。
あの頃のことを、両親はどう記憶しているのだろう。


20240622 Written by NARUKURU

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?