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本について。

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想像力こそが世界を美しくする。その想像力は経験に拠るけれども「人生のストーリーは一生じゃ足りない」。だから本がある。
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記事一覧

「俺八分」を超えて 『うしろめたさの人類学』

切断にまみれた時代に生きている。あらゆるものを閉じた世界に生きている。それではなにも変わらないと思う。 『うしろめたさの人類学』 (松村圭一郎、ミシマ社、2017) 自分たちがその手綱を握っていることを意識しながら、一人ひとりの越境行為によって、そこにあらたな意味を付与し、別の可能性を開いていく。それが重要だと思う(p188) 「俺八分」村八分という言葉がある。「村の規範や秩序を乱す者を排斥・絶交する制裁行為」という意味だが、これに似たような行為をSNSなどインターネッ

ブラックホールになりたい 『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』

なぜ自分は文章を書いているのか。この本を端緒に、自分なりに改めて考え直してみたい。 『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』 田中泰延、ダイヤモンド社、2019 しかし、怖れることはない。なぜなら、書くのはまず、自分のためだからだ。あなたが触れた事象は、あなただけが知っている。あなたが抱いた心象は、あなただけが覚えている(p224) ファーストひろのぶ著者の田中泰延さんとの個々の出会いについて書く「 #ファーストひろのぶ」というハッシュタグがTwi

限界ルネサンスに限界ファッションの夢を見る 『限界芸術論』

「限界」。ここから「限界ファッション」について思いを馳せてみる。現状、オチはない。 『限界芸術論』 鶴見俊輔、ちくま学芸文庫、[1967]1999 「修羅」とは、各個人の中にある外面化されていない分身であって、これが各個人を底のほうからつきうごかして彼を現状に満足させず、彼をして、未来への彼なりのヴィジョンを投影させる(p77) 「際」『限界芸術論』の「限界芸術」、「限界」という概念・考え方から飛躍して、個人的な興味関心に引きつけて「限界ファッション」について考えてみた

「しょうもない」デザイン 競馬場とかにあるあのペン=ペグシル

なにについて書こうか。そう思いながら手に持っていたのが、これだった。これだ。 「ペグシル」 これだ!!本を読むようになってから、書き込みは欠かさない。ただちょうど良いペンがない、本当に。 大学しばらくの頃は書き込み用に、普通の鉛筆やシャーペンなどを使っていたが、しおり代わりに挟んでいると、本をやたらと傷めてしまう、ハードカバーになると挟んでおくこともできないなどなどでなかなか難儀した。 一時期、めちゃくちゃ小さいシャーペンを使っていたが、それもややましになった程度の変

ちいさなかしこいゆとりのはなし 『新・ゆとり論 思想でつながり、ゆるく生きる若者たち』

「ぼくが目になろう」。 『新・ゆとり論 思想でつながり、ゆるく生きる若者たち』 すみたたかひろ、2019 「ある程度の判断基準や客観性を少なからず身につけているのも『ゆとり』的だなと感じるのです」(p61) ゆとりの思想私観ゆとりの思想には、明確なイデオロギーがあるわけではない。いわゆるの「思想」には明確なイデオロギーがある。中核に共有された幻想がある。その点で言えば、ゆとりの思想にはその幻想にさえも“ゆとり”がある。もやもやとまとまりなく、ひとまず思いつく私観、ゆとり

コウモリでもいいじゃないか 『21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学』

曖昧なものが好きだ。寄る瀬のないままでも、それはそれで漂うのもいい。 『21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学』 平川克美、ミシマ社、2018 「対立しているかのように見える二つの事象は、同じ一つのことが生み出したものであり、一方だけを見てわかったつもりになるというのは、ただ、「そのように見たい」という人間の性向を示しているだけで、〜ひとは円の亡霊にとり憑かれたいのです」(p207) さだまらず楕円のように一つを選択するということは、そのほかの選択肢全てを選択しないと