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【小説】からあげ弁当 大盛り

からあげ4個の並盛は500円。それが600円の大盛りになるとからあげが6個になる。ご飯の盛りだけでなくからあげの数も増えるのだ。大盛りにしないという選択肢はない。

若い頃から塩気が強く脂っこいものが大好きで、しかもそれを大盛りにして食べ続けてきた。その結果、人間ドックの成績は惨憺たるもので、悪玉コレステロール、血圧、尿酸値その他諸々、生活習慣に関わる数値が軒並み要注意になっていた。
こんなものを女房に見られたら何をされるかわからぬと、結果はひた隠しに隠していたのだが、生命保険の更新のときついにバレてしまった。こっぴどく叱られたのは言うまでもない。以来、俺の飯は女房によって厳しく管理されることとなり、出されるものは塩分ひかえめ油分もひかえめ、まるでインドの修行僧のような味気ないものになってしまった。唯一の逃げ道と思われた会社での昼飯についても、朝早く起きて弁当を作って持たせてくるようになり、俺の飯に対する健康食包囲網は完成されてしまった。
そんな生活が一週間と持つはずはなく、俺は塩分と油分の禁断症状を引き起こしていた。
弁当屋の前を通れば、嫌でもからあげ弁当大盛りのことを考えてしまう。

もう限界だ。

こうして俺は女房を謀り、今日の昼はからあげ弁当大盛りを食うと心に決めた。

問題は女房が持たせてくれた健康食弁当だ。残して帰ればまた根掘り葉掘り聞かれた挙げ句、くどくどと説教をされることは間違いない。だから弁当箱は空になっている必要がある。だが、この問題は簡単に解決することができる。
部下の若いのに声をかけ、昼飯は持ってきたかと聞く。案の定持ってきていないという答え。こいつがいつも昼休みになるとコンビニに行き、菓子パンやらおにぎり買って昼飯にしているのは先刻承知だ。コンビニのパンばかりじゃ体に悪かろう、たまにはちゃんとしたのも食えと、恩着せがましく弁当を預ける。若いのは、はあ、といぶかしげな返事をしたが、昼飯代が浮くのはうれしかったのだろう、素直に受け取ってくれた。これで女房の健康食弁当のことは解決だ。

昼休み、満を持して弁当屋に向かう。注文はもちろんからあげ弁当大盛り。一週間ぶりともなると揚がるのを待つ間の時間も愛おしく感じられる。
待つ間の楽しみはほかのメニューを眺めることだ。メンチカツ、ミックスフライ、レバニラ。夢は膨らむ。
注文したからあげ弁当大盛りは5分ほどでできあがり、俺は意気揚々と会社へ引き返す。

休憩室に行くと、経理課の男がラーメンのカップを前に仏頂面で座っていた。液体スープの小袋を律儀にカップのフタに乗せて温めている。ラーメンは大きめのドンブリ型カップで値段がひとつ上のやつだ。嫁の味の薄い油少なめの弁当ならうらやましく思ったろうが、残念だったな、今日の俺にはからあげ弁当がある。しかも、からあげ6個の大盛りのほうだ。

「お、いいもん食べてるね。高級ラーメン。」

声をかけてやる。今の俺にはそのくらいの余裕がある。経理のやつは仏頂面のまま軽く会釈する。
からあげ弁当の包みを解いて箸を割り、俺は一つ目のからあげをほおばった。噛みしめると油の染みた衣と濃いめの醤油ダレの効いた鶏肉が混ざり合い、えもいわれぬ旨味が口の中に広がる。生活習慣病が何だ。俺はこういうものを食うために働いているんだ。そのまま白飯をかっこむ。うまい。醤油ダレの塩気と風味で白飯の調和。最高だ。米はやっぱり白飯だろう。女房のやつ、健康にいいとか何とか言って、弁当の飯を雑穀が混じったのにしやがる。戦国時代でもあるまいに。

意気揚々と二つ目のからあげに箸を伸ばす。3分経ったのか、経理はカップのフタを開け、液体と粉のスープを中に入れる。眉間にシワを寄せた真剣な顔でスープを溶かし、麺をほぐしている。まあ、せいぜいよく混ぜることだと二つ目を口に運ぶ。やはりうまい。

「あれ、いいほうのラーメンだ。うまそうですね。」

総務の課長が経理の横に座る。こいつとは長い付き合いだが、結婚してから昼はずっと愛妻弁当だ。弁当箱にはこども向けヒーロー番組表のキャラクターが描いてある。こどものお古なのだろう。そう考えると女房に持たせられる弁当箱は、なかなか洒落たもののように見える。あいつは昔から凝り性だからな。
愛妻弁当のおかずはゆでたまごにミニトマトにシュウマイか。シュウマイは冷凍ものだが悪くはなさそうだ。しかし、今日の俺にはからあげがある。勝負にはならん。

余裕のまま3つめを口に入れようとしたそのとき、何とも言えぬ良い香りが鼻に飛び込んできた。

これは、煮干スープか。

経理のほうを見ると、奴はいかにもうまそうにラーメンをすすっている。手に持ったカップを確認する。そこには濃厚にぼしスープで有名な、ラーメン通を自認する俺が常々行ってみたいと思っていた、あの店の名前があったではないか。

コラボか。

まさかあの店がコンビニなんぞとコラボするはずはないと、すっかり油断していた。これはまずい。俺の意識は濃厚煮干スープに向かい始めている。からあげと白飯のコンビは最強であるが、ここに濃厚煮干ラーメンが加われば、オールスタードリームチームの完成じゃないか。
カップにお湯を入れラーメンができるのを待ちながらからあげ3つと白飯を味わう。ラーメンができたら半分ほど麺をすすった後、からあげ2つを投入。すなわち、からあげラーメンの完成だ。からあげの衣に濃厚煮干スープを吸わせ味変し、麺を片付ける。最後に残った白飯をスープに放り込み、ほぐしたからあげをまぜて雑炊にしてかっこむ。完璧だ。

いつの間にか隣には営業の調子のいい若いやつが座っていて、総務課長とよくわからない話をしている。俺はからあげラーメンを妄想しつつ4つ目を咀嚼する。

「すごいすね。からあげ6個も。ぼくには無理だな。」

お調子者の営業がこっちにもからんでくる。だが、今はこいつの相手をしている場合ではない。デスクに座ってばかりいないでこっちも手伝え、といなす。経理は黙々とラーメンをすすっている。相変わらず仏頂面だが、何故かうまそうに食っているように見える。

「それにしても、ラーメンうまそうだよな。」

しまった声に出てしまった。照れ隠しに5個目のからあげをほおばる。総務課長も営業も経理のラーメンをうらやましがる。カップといえどあの有名店のラーメン、やはり強い。からあげをたらふく食べて満足しているはずなのに、俺の心は早くもラーメンに向かっている。

「ラーメン食いたくなったな。」

また声に出てしまう。思えばからあげにばかり気を取られ、ラーメンの存在を忘れていたのが敗因だったのだ。嫁に隠れてやることなら、そこまで極めなくてどうする。俺はリベンジ、すなわちからあげ弁当とラーメンのコラボを心に誓った。

スープ残すなよと経理に言い捨てて休憩室から自席に戻ると、弁当を預けておいた若いのが空になった弁当箱を返しにきた。律儀に洗ってある。
「弁当、うまかったです。奥さん料理お上手ですね。」
女房を誉められてうれしい気もするが、俺の嗜好をとがめられているようでもあり複雑だ。
「味、薄かったろ。」
「いえ、そんなに気にならなかったです。」
最近の若いのは淡白な味がいいのだろうか。
「それにしても課長、奥さんがうまくて体にいいものを作ってくれるのに、弁当屋の弁当なんか買い食いしちゃバチ当たりますよ。」
そう俺に釘を刺すと、若いのは自席に戻っていった。余計な世話だと思いながらも、人からうまいと言われると、改めて女房の弁当も食べてみたくなった。

それならば。

明日は女房の健康食弁当と濃厚煮干ラーメンのコラボでいこう。
明日の昼飯が今から楽しみになってきた。

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