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欲目の話

 私は欲目が強い。初めて会った人より、親しくなった人の方が良く見える。
 同じ人でも、初めて会ったときには「この人あんまカッコよくないな」と思っていても、親しくなってくるとその顔に何とも言えない味わいを感じ、カッコよく見えてくるのだ。私にとってはその人の顔は初めて会った時よりカッコよく変わったように見える。女性の場合は親しくなった後の方が美しく見える。

 そういえば私は子どもの頃、自分の母親が世界で一番美しいと思っていた。誇張でなく本気でそう思っていた。テレビに映る女優さんより私の母親の方が美しいと、マジで思っていたのだ。
 ある時、父と母が喧嘩して、父が母に対して「ブス!」と罵声を浴びせたときがあった。そのとき私はムキになって「お母さんはブスじゃないもん!美人じゃもん!」と言い返していた。
 今、失礼ながら母の容姿を判定すると、良くて中の下、まあ下の上くらいかと思う。今の母は歳をとったから、ということもあるけど、母の昔の写真を見てもその判定は変わらない。
 だけど私が小さいときの母は世界一美しかったのだ。私の目にはそう映っていた。

 そんなことで、私は自分と親しい人にはバイアスがかかる。そしてそのバイアスは見た目だけでなく、文章を読む場合でもそうなんだなと最近知った。

 私はSNSやnoteで文章を読むとき、全く知らない人とフォローしてる人ではその文章に対する印象がまるで変わる。
 また、同じ人の文章でも、その人を知らない状態で読んだときの文章を、その方とある程度交流した後に読み返すと文章から受ける印象が変わる。有り体に言えば、面白く感じる。

 また、自分と違う意見を持っている場合、知らない人なら無視するか反発したりするが、親しい人であれば「この人はどういう理由でこの意見を述べているんだろう」とより深く考えを聞きたくなる。最終的に賛同できなくても、自分と違う意見を知れたことを嬉しく思える。

 noteでは特にそれを強く感じていて、それがとても面白い。

 フォロワーが多いnoterの記事を読んでみた。フォロワーが多い人は6万人以上いる人もいた。
 役に立つ内容だったり、占いだったり、面白い記事も多かったけど、あまり刺さらなかった。

 私がnoteをしてる理由はそういうんじゃないんだな、と思った。
 多くの人が良いと思うようなエッセイや立派な小説を読みたければ本を読めばいい。情報を得たければ専門誌で良い。でもわざわざnoteでそういう文章を探してまで読みたいわけではない。

 noteは気軽に誰でも投稿できる。私みたいな文章を書くのが初心者の者も書いている。主婦の方も書いてる。学生さんも書いてる。
 そういう、言い方は悪いけど素人が気軽に投稿できるのがnoteの良さじゃないかと思った。

 どこかの出版社から出てるわけでもない、市井の人々の気軽な投稿を読んで、その人たちの暮らしを想像したり共感したりするのが面白い。そしてコメント欄で交流できるのも面白い。コメント欄でのやりとりで、その人をより深く知ることができて、記事をより深めることができたりする。それが楽しい。

 私は前述のように身内びいきの甚だしい性格だけど、だからこそnoteを楽しめてるところがあるようなので、良しとしよう。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!