キャリコンになったキッカケ_後半

半年後、高校生就職ガイダンスに講師として登壇
何気なしに生徒の様子を見ていると
ある生徒たちが
「同じ人だ…覚えていますか?」と駆け寄ってきました。
年間何百人と会うので覚えているわけもなく
私「ごめん、多くの高校生に会うので覚えていないのよね」
A「半年前に人と話せないBがどうやってバイトをすればいいかを相談したんです。」
私「あああああ…覚えているよ。でどうなんたの?」
と言いながら、思い付きでアドバイスをしたことだったので、
それほど期待していませんでした。

B「中華屋で・・・バイト・・・して・・・います」

私は初めてBが喋っているのを聞きました。
周りも大きな歓声が上がり、担任の先生も大きくうなずいていました。

学校のチャイムがなり、
私は急に胸にこみあげるものがあり、なぜだかわかりませんが
授業始まりのお辞儀をした後、頭を上げることが出来ないくらい号泣してしまいました。

この時初めて、キャリコンとして生きていくことを決めました。
キャリコンは「人の岐路に立つ」という人がいますが、私はそうは思いません。
頑張っている人の後ろに立ち、立ち止まった時や後づさりしそうな時、一緒に悩んだり、考えたりする仕事だと考えています。

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