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但願人長久〜ただ人々が健康で長生きすることを願う〜

こんにちは!フモジェンヌ投稿です。日本で集められる情報で曲の解説を書いてみたいと思います。
以前この曲をライブでリクエストされて、セバスチヤンに教えてもらった内容も含めてご紹介しますね。

但願人長久(カタカナで書くと タン ユエン レン チャン チュウ)
「ただ人々が健康で長生きすることを願う」という意味です。


「但願人長久」テレサテンさんが歌った代表曲

「但願人長久」は、日本ではあまり知る人は少ないかもしれませんが、台湾ではテレサテン(鄧麗君)の代表曲とされています。
二胡弾きさんにとってのテレサテンさんの代表曲は「月亮代表我的心」でしょうか。沢山の歌が日本で親しまれていますね。
日本での代表曲と言えば、「時の流れに身を任せ」「つぐない」「別れの予感」「愛人」
どれだけカラオケで熱唱したことか。。。
あの柔らく艶のある声、中国語の響きを感じる歌詞、美しさ、可愛らしさ、聡明さ、本当に素敵な方でした。
どこかで、テレサテンさんについての記事も書いてみたいなと思っています。

アルバム「淡々幽情」(タン タン ヨウ チン)

但願人長久はアルバム「淡々幽情」に収められいます。
主に宋代(960~1279)の代表詩人が作った12の詞を選び、台湾人と香港人の八人の作曲家に依頼して曲をつけ、テレサテンの歌唱力をもって、現代に蘇らせたアルバムです。
このアルバムを制作したプロデューサー鄧錫泉(トニータン)さんは
「あのアルバムは大変野心的な作品でね。僕らは中国の伝統文化をわかりやすく現代に伝えたい!ほら、マーラの「大地の歌」という交響曲。あれは李白や孟浩然の詩にインスピレーションを得たものでしょう。欧米人がやっているのに我々がやらない理由がない!」

書籍:「テレサテンが見た夢」から

音楽の居場所は、自由で境界線がないな〜と思います。地球上何かでどこかで繋がっている。西洋も東洋もなく、時を超えて世界を包み込んでいるものではないかとも思います。
政治や宗教とは違った形で人々を結び助けてくれます。

但願人長久は、今から1000年前の宋の時代の詩人、蘇軾(そしょく)という人が書いた詩。それにメロディーが付けられたわけですが
日本に例えるなら、平安時代「古今和歌集」や「源氏物語」などに曲を付けて歌うようなものでしょうか。

詩を書いた蘇軾(そしょく)は、エリート役人

蘇軾は、政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。

Wikipediaより

優秀なエリート役人だったわけですが、詩で政治を覆そうとしていると批判され左遷されてしまった。
中秋の名月を観賞する宴会の時、仲間と飲んで酔いが回った頃、ふと遠く離れた地に居る弟の蘇轍(そてつ)のことを思い出して、酔っ払って書いた即興の詩。

この詩の大意は、自分はエリートでまさに天からの使い、そろそろ天に戻っても良いが、酔っ払ってるし空は寒そうだから今はやめておこう。どうせ人生なんて思うようには行かないのだから、せめて遠く離れたお前も体には気をつけて、せめてこの美しい月を一緒に眺めて心を繋いでおきたいものだ。

1000年も前の月を見ながら詠んだ詩が(しかも酔っ払いながら)悠久の時を超えこの現代にメロディーが付けられ多くの人に知られる。
当時の蘇軾にはこんなことになっていようなどとは、考えも及ばないことでしょうね。
本来は同じ月を見ているだろう、遠く離れた弟に宛てた詩ですが、今では遠く離れた恋人宛の詩として人気があるようです。

≪但願人長久≫ (水調歌頭)

明月幾時有     
この明るい月は、いつからあるのだろう
把酒問青天     
酒を取り、ふけゆく青き夜空に聞いてみる
不知天上官闕     
人知の及ぶところではなし。天上の宮殿では、
今夕是何年     
今はどれくらいなのだろうか
我欲乗風帰去     
酔いにまかせ風に乗り、青き天空駆け巡り確かめたいが、
又恐瓊楼玉宇     
私は今宵のことすら分からない
高処不勝寒     
高殿はとても寒く、かなわない
起舞弄清影     
立ち上がって舞い、影と戯れていると
何似在人間     
この世のものとは思えない気分だ

轉朱閣     
楼閣を巡り、
低綺戸     
模様のある戸を低くくぐり、
照無眠      
眠れぬ私を照らし出す
不應有恨     
月よ、おまえには恨みがないけど    
何事長向別時圓     
なぜ、いつも離れ離れになっているときに限って丸いのか

人有悲歓離合     
人には出会いと別れがあり
月有陰晴圓缺     
月には満ち欠けがある。
此事古難全     
満ちれば欠ける定めなら、古から全きことは難しいこと。
但願人長久     
ただ祈るのみ。あの人がいつまでも元気にいて、     
千里共嬋娟     
千里を隔てていても、ともに艶やかな月をめでることができること

この曲を二胡で弾くとき

テレサテンさんの言葉のイントネーションをそのまま再現したいなという思いに駆られます。
アレンジしたい!など一切思いません。
美しい、流れるような中国語を、そのまま二胡で表現できないだろうかと。
そう思うのは私だけではないのではないでしょうか。
正直、街中で聞く中国語はたくましさを感じますが
テレサテンさんの歌う中国語は、筆で絵を描くごとく美しい。
様々な偏見を取り除き、純粋な耳で聞くと、中国語は美しいなあと心から思います。
二胡には、滑音(カツオン)という技術があります。変な滑音を使うと、下手な演歌のようになってしまいますが、
テレサテンさんのような滑音で二胡も歌えたら美しいなと思います。

音楽と言語 フモジェンヌ的考え

その国で生まれた音楽と、その国の言葉とは、密接な関係があるように思います。
その国の言葉がメロディーとなっている、そんな要素は沢山ありますね。
例えば、シャンソン。フランスの大衆音楽ですが、フランス語で喋った日常のことがそのまま歌詞とメロディーになったような音楽だと思います。
モーツアルトはオーストリア語
ショパンはポーランド語
ベートーベンはドイツ語!
ちょうど先日第九を歌ってきたので、
「Freude, schöner Götterfunken,」
フロイデ!シェーネル!ゲッテル!フンケン!と語気が強く頭の中で強くリフレインしています。中国語で歌う第九など想像できませんね。

音楽って本当に面白いです。

トンポーローという名の肉料理

そうそう!この蘇軾という人は詩人として意外にもう1つ有名なことがあって、トンポーローという名の肉料理を発明した方です。
蘇トンポーというのがこの人の別名で、それにちなんで料理の名前がついたそうな。
これ、セバスチヤンに教えてもらった特上ネタです!(コソっと使ってね)
セバスチはこのようなネタの引き出しがたくさんあってね、どこかの記事でも出てくると思いますよ!


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