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生成AIは「言語化の電卓」として欠かせない存在に

生成AIを日々業務で使うようになって、「AIは電卓のような存在だな」と感じる。

電卓が手元にあれば、暗算する必要はない。
というか、暗算だと間違う可能性が高い上に、手間もかかる。
絶対に電卓を使ったほうがいいに決まってる。

電卓に仕事が奪われる!
とか、
自力で計算しないなんて、楽しすぎてる!

なんていう人はいない。

言語化における生成AIの活用はそれに似ていると思う。

1+1=2
それは誰がやっても同じで、全世界共通の認識。

それと同様に、「この用語の概念は絶対こうだよね」、というのは、自分で言語化するよりも、ずっと生成AIのほうが正確だし、わかりやすくアウトプットしてくれる。

だから、誰がやっても間違いのない正確な答えを求める場合や、一般的な共通認識を言語化したい時には、AIを使うことは、まったくずるくないし、手抜きでもない。

暗算しないで、電卓を使ったとて、誰も手抜きとは思わないし、
電卓により、制作プロセスが効率化され、もっと他に考えるべきところに脳みそを使えるようになるのは、アウトプットされたものを受け取る側にとっても、プラスとなるはずだ。

PCや電卓は、脳みその拡張機能
車や飛行機は、足の拡張機能
みたいなことを、ホリエモンが言ってた気がする。確かにその通りだなと思う。

ゴールにたどり着くまでのプロセスを、ショートカットしていくことで、従来のやり方では到達できなかった目的に、効率的に辿りつけるようになる。

生成AIは、
日々、
「こんな使い方できる」
とか
「こんな新しいAIが出た」
とか
覚えきれないくらい、素晴らしい機能やテクニックがYouTubeはじめ各種SNS、書籍などで紹介されている。

しかし、一般的な業務においては、電卓くらいの位置付けで、最低限の手段として使うくらいで十分なんじゃないかなっって思う。

電卓、極めたぜ!
とか、言ってる人はそもそもいないし、
高機能のPCなんて全然いらなくて最低限のところだけ押さえてくれればいいよっていう人がほとんどだろうし。

だから、AIの最新のトレンドや技術が追えなくても、全然良くて、
普通に便利だから、
電卓使う感覚で、みんなが、最低限のところは日常的に使えばいいと思う。

わかりきったこととか、すでに誰かが考えてくれたこととかは、AIに任せちゃって、その先を、考えることに、大半の人が時間を費やせるようになったら、めちゃくちゃ生産性が上がる。素人の私にもわかる。

既存の知識はAIがいくらでも綺麗に整えて、提供してくれる。
その素材を使って、どういう切り口で見せるかだったり、具体的な事例をどう紹介するかだったり、っていうところは、結局は人間がやらないといけなくて。

つまり、人が本当に知りたいのは、自分でAIに聞いて答えられるレベルのことではなくて、
まだ、誰も体験してないこと、データベースから引っ張り出して来れないことだ。

オリジナリティーやアナロジー
AIだけでは生み出せない情報への価値がどんどん高まっている。

素材はそろった。それを使って、じゃあどう料理するの?っていうとこだけの勝負になって来ている。

「知ってる」の量じゃAIにどんな天才も絶対敵わない。

感じること、感受性を高めて、
オフラインにしかないコトやモノ、誰も思いつかなかった組み合わせ、そういうことを提供できる存在だけが、求められる時代なんだろう。


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