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#12 片手間の愛

徒然なるままに。おはこんばんちは!
どうも、まこだもの。です。


今回は気取ったテイストで綴ってみようと思います。最近そういう気分らしい。



それでは。



 人は誰かを愛することができる。できる、と表現したのは意図があって、人は人を愛さなくても生きていけるからだ。

 人が人を愛する理由は2つあると僕は思う。母性と承認欲求だ。前者については特に言うことはないので省略する。かと言って、後者にどうこう言うつもりももっぱらない。とはいえ触れないわけではない。無駄な文が多い。話を進める。

 承認欲求が根底にある場合、つまり人は誰かに愛されるために誰かを愛するのだ。愛されないと生きていけない。これは僕が四半世紀かけてようやっと学んだ、皆様にとっておなじみの事実だ。このことだけでひと月は腐ることができるのだけれど、挫けず前に進むことにする。

 つまり誰かに愛されていれば、、、申し訳ないがここで訂正させてもらう。愛されれば誰でもいいわけではない。彼から、彼女から、特定少数のあなたから愛されたいのだ。

 ただ、そんな気持ちに真面目に向き合うと、痛い目を見る。
日常とは移りゆくもので、気持ちの浮き沈みはそれに合わせているようなものだ。日常がうまくいかない時、人は愛することを簡単に忘れる。とはいえ、忘れずにいつも通り同じだけ愛そうとする者もいる。器用な奴がするならいいのだけれど、不器用な人間がすると、破滅する。物騒な言葉を使ったけれど、これも僕が四半世紀かけて学んだ事実だ。

 つまり、日常と愛を天秤にかける僕らは、愛の片手間に日常を、日常の片手間に愛を行う。愛は美しいと形容するのが主流だが、現実では特に品があるわけでもない、どちらかと言うと低俗なものだ。とはいえ、そこに儚さという美しさがあるのだけれど、それはまた別のお話…ということにさせていただけないだろうか。

 とにもかくにも、人は愛が必要だ。あなたからの愛がないと生きていけないのだ。あなたからの愛を頂戴するために、それなりにうまくいっている日常の片手間であなたを愛するのだ。このバランスを無視して片手間をやめてみると面白いくらい簡単に破滅する。

 愚かとしか言いようがないこの人間の欠陥は、これから幾星霜の時をかけて進化するとともに消えてはくれないだろうか。消えないだろうな。そもそも人間は未だ進化する余地があるのだろうか。今の人類の在り方が霊長類の進化の終着点なのだろうか。推測を立てたところで観測することは叶わない。そんな気がする。

 さて、軽いようで重い筆を置き、僕は日常に戻ることにする。あなたも一緒に戻りましょう。そして、片手間で愛してくれると幸いです。




〜おまけ〜


言葉はとっても大切なもの。だけど、言葉ばかり大切にして行動を疎かにしていては単なる受け身。どこかの大罪司教の御仁に「あなた、怠惰ですねェ」と罵られてしまいそうです。

月並みな表現だけど、僕にとって人の気持ちを慮ることは針の穴に糸を通すような繊細な作業。自分の意見をどこまで主張していいものか、信じるものが自分の中にしかないだけに、それが通じなかった時、受け入れられなかったと認識した瞬間に僕という人間は死んでしまう気がする。
そんな、臆病の二文字で済んでしまう僕のこと。
そして、僕をもっと臆病に変えていくあなたのこと。



もうお気付きでしょうか…
そう、今回も下書き欄の消化です…

noteに書く分は多少推敲してるつもりなのですが、下書きはその時のままなのもあり、より見てられない文章だと思われているのではないでしょうか!えっいつもの文も!?ごべえええん!!!おれがわるがっだ!!!!!

文学的センスが欲しい!とは常々思っているのですが、だったら本読めよと。買ってはいるんですけどね…積読…あはは…すっと誰かの心に潜ってくような文章を綴りたいものです。

そういえば最近ゲーム実況を始めました。とても難しいですが、楽しくもあります。よかったら見てみてね!応援してね!
あと、ギターを始めようと思っています。実は何年も前から言ってるんですけどね…いい加減にしようかなと。
何足草鞋履くねんとは思いつつも、全部うまくやっていこうと割とまじめに思っています!がんばるぞ〜!




えいえいOh〜!!!!!!

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