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走れ!ライトマン#9

北沢は夜が苦手である。

理由は特にない。

なぜそんなに苦手なのか、とんと見当がつかぬ。

夜遅くなる仕事というだけでテンションが下がる。
今回はそんな仕事だ。

アッタカ市、ホカホカ明太市長の任期満了に伴い行われる市長選挙。
本日投票、今晩開票である。

それを撮りに行く。


立候補
・無所属 武井 ホルモン(初)
・海原党 若芽 敏行(現職)

上記メンバーの候補者で争われる市長選。
昼間に北沢は、インド料理やでカレーを食べていた。

普段なら局で仕事、あるいは取材に出向いていてもおかしくない平日の昼。
そう、北沢は午後出勤なのだ。

選挙取材は基本的に、昼過ぎに出勤し、開票が始まりそうなころ立候補者の事務所近くで待機する。
立候補者が複数いる場合はどのように待つかが難しいところだが、その市や政治に詳しい政治部の記者と共に行動するため、確実に当選する方で準備を進める。
記者は長年の経験でざっくりどちらが当選するかわかるらしい。
それが外れたことは過去1度だけ。
正直、かなり信用している。
あとは、他局の動向も見つつ決めることもある。

昼過ぎに出勤し、取材でへとへとになって帰ってくるクルーを見届けながら、荷解きを手伝う。
火災や事故等の緊急対応にも行くことはないので、出発まではのんびり待機だ。
クッキーを貪りながら時を待つ。

今回は巨体ながら朗らかな石本カメラマン。
怒っているところを見たことがない、非常に優しいカメラマンだ。
何を話していても、嫌味がなくて接しやすい。
いつも目が笑っているし、こういう人って憧れる。

準備するものは基本通常取材の装備と一緒で、カメラバッテリー多めに、ディスクも多めに持っていく。
選挙取材で少し楽なのは、ミキサーを使用しないことだ。
長いコードを使用して、超指向性のマイクを選挙の担当者に渡してしまえば、勝手にマイクを当選者にあててくれる。
でもな~、楽なんだけど、しんどい。
それは多分、夜だからだと思う。


今回の選挙は、政界初挑戦の無所属武井氏と経験値の豊富な若芽氏の一騎打ちだ。
北沢には政治がわからないので、住んでいない土地の知らない立候補者なので、どちらが当選しようがどうでもよかった。

車に乗り込むと、睡魔の影がにじり寄るのだが、最近気づいたことがある。

耳には迷走神経が備わっているらしい。
耳かきをすると気持ちがいいのはそのわけだ。
眠くなってくる時だってある。
理由は、迷走神経は副交感神経のツボがたくさんあるかららしい。

ということは、眠たい時には、耳を触ればよく眠れるのだ。

そんなことに気づいて早数か月。

取材先に向かう車に乗って、耳を少し触るだけで眠れる身体になってしまったのだ。
ということで、北沢は早々に寝た。

アッタカ市まで車で2時間。

準備も済んでいるので、寝ても問題はない。


不思議なもので、高速道路を降りた瞬間に目が覚める能力も身に着けてしまった。
おそらく気圧というかそういうものが作用しているのかなと思う。

高速道路を降りるということは現地が近いということだし、現地についてからカメラマンに起こされるようなこともないので、この能力は正直とても北沢は自身があると自負していた。

「これから立候補者の事務所に向かうんですけど、トイレとか大丈夫ですか」
「局で行ってきたので」
「大丈夫ですよ~」
「じゃあ少し早いですが、行きましょうか」

若芽氏の当選するのではないかと記者は見定めた。
しかしながら、念のため他局の動向もということで、武井氏の事務所から顔を見せることにした。

「こんばんは~」
「…!あ!毎日テレビ放送網さんですか」
「あ…、はい」

記者の見定めはズバリ的中していた。
念のため行ってみたら、立候補者とその家族しか事務所にいなかったのだ。

「やっぱ、落選ですかね…」
「や、や~、まだ開票してませんからね~、い、一旦、若芽さんのところも見てこようかなと」
「アア……、そうですよね…」

選挙の写真で見るよりも、少し小柄な男だった。

記者と話す武井氏は、しゅんとしていた。
超絶哀愁の武井氏を後に、我々取材班は若芽氏の事務所に出向くことにしたのだ。

武井氏事務所を去る際に、石本さんが言った。
「北沢くん、選挙っていくらかかるか知ってる?」
「え、お金かかるんですか?」
「だいたい300万くらいだね」
「えええ」
「なんか切ないよね~」


一方、若芽氏の事務所では、政党に所属しているだけあり、応援のメッセージが壁に貼られており、特設会場のようにテント内で行われるようだ。
支援者や家族、報道陣も集まっている。まるでパーティーだ。
外であるため、照明の業者も手配してるので、本当になにもしなくていいタイプの現場だ。

開票はだいたい20時から行われるのが一般的だ。
報道陣が行う出口調査で、開票直前に当選確実の情報が飛び交うこともあるのは事実だが、ひとまず開票番組を見ながら当選結果を待つ。
その時間は、大抵日付が変わる一時間くらい前頃だ。

ネットで結果を調べると、若芽氏の名前の隣に赤地に白字で「確」とあった。

万歳三唱の時間だ。

ここからは、まずは万歳三唱、そして当選者会見インタビュー、他来賓者のお言葉などなど。

選挙取材は待機時間が長いため、しんどくなってしまうことに北沢はだんだん気づいてきた。
しかし、もうちゃちゃっと撮影したら終わりで、曲に帰ったら速攻で帰宅が許されると察知もした。

「当選確実です!」

盛り上がる会場、人々に囲まれ笑顔を見せる若芽氏、光るフラッシュ。

「万歳三唱、バンザーイ!」

2,3度繰り返して、来賓者のメッセージタイムが始まる。

確かに、人は多いが来賓者の挨拶をする人は多くはないだろうと思っていた。

1人目、2人目を撮ったところで、不穏な空気になる。
というか、まず、記者が消えた。
石本さんも北沢も何人目まで撮るか聞いていないことに気づいたのだ。

聞いていないということは、全員撮らないといけない悲しい運命。
知りもしない市の、これから市長になる人の知り合いの誰かが全員同じような挨拶をする。

「若芽氏の当選、大変うれしく思います!これからも、ラグビーのようにスクラムを組んで、頑張っていきましょう」

何人目かの爺さんが言った。

すると、次の来賓者から、「ラグビー」「スクラム」「スクラムを組んでがんばる」といった言葉を乱用し始めたのだ。

北沢の疲れはピークに近くなった。
人間、終わりの見えない仕事をすると、気が狂いそうになるもので、永遠に続けばいいのに、そんな時間なんてこの世に存在しないのだ。
しんどい仕事をしているときは、残念ながら鋭利な思想で頭が煮えくり返る。

終わらない挨拶、乱用される「スクラム」、知らない爺さんたち、疲れた他局報道陣の顔、急にいなくなった記者、そして、夜。
最悪な条件はそろっていた。
幸運なのは雨が降らなかったことだけだ。

もう何人の来賓者が挨拶をしたか思い出せない。
メモも眠気でぐちゃぐちゃになっている。

すると、記者がやっとのこと帰ってきた!
「ちょ、どこ行ってたんすか」
「お腹痛くて……」

事務所による前にトイレに行きたかったのは記者の方だった…。

「いまこれ何人目ですか?」
「あ…、…」
「10人目くらいですかね、どう?北沢くん」
「そんくらいです…」
「もうなんか同じことしか言ってなければ挨拶して帰りましょうか」

そんなだるんとした不思議な理由で、我々は現地を後にした。


帰局すると、深夜2時になっていた。
これからタクシーで家に帰って、だいたい深夜3時。
明日の出勤が、朝9時。

時計をついぼんやりと眺めてしまった。

「俺も明日9時、がんばろうね」
「…うす」

そう言えば、高校野球の応援で4クルーが駆り出されている。
留守番をする北沢の激務は、これから始まるのかもしれない。

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