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走れ!ライトマン#2

初仕事は北区で「認知症徘徊予行訓練」だった。

入社してからカメラアシスタントとして、「熱さ」を撮ったり、「大雨」を撮ったり、天候ものの取材ばかりを担当してきた北沢だったが、ついに、マイク&ミキサーを使用したがっつり取材に出向くことになったのである。

北沢は、ライトマンの仕事を舐めていた。
前述した、「熱さ」というのは、本当に街で暑そうにしている人たちを撮るし、なんだったら地平線の陽炎を撮る。
三脚をもってカメラマンの後ろをついていくだけの仕事なのだ。
ディスクも1時間以上回ることもないし、何となく何を撮影したかをメモしてあればOKなのである。

いよいよ、報道部っぽい仕事にありつけた北沢ではあったが、絶望的な不安に駆られていた。
それは、同期榛名が当たったカメラマンが異常に厳しく、めちゃ怒られで帰局してきたからだ。
彼は基本飄々としている為、怒られても反省している色が見えないが故に、さらに怒られているのかもしれない。

普段のカメラアシストでそんなにミスはないものの、こっぴどく怒られている榛名を見て、自分も対応できないのではないかと、おびえた。

今回の担当カメラマンは還暦近いおじいちゃんカメラマン、伊東さんだ。
伊東さんは、話したことはないが、めちゃめちゃ服に細かい白い細い毛がついているので、おそらく猫を飼っている。
白髪頭で、チョロリと後頭部からでる結んだ髪が印象的だ。

必要な機材や、鞄をもって機材室で伊東さんと目を合わせた。

「飯、食えるといいな」
「は、はあ」
「行こうか。準備はいいかな」
「多分」
「多分じゃダメだろ」
「できてます!」
「…よし!」

そして、地下車両駐車エリアへと行くためのエレベーターに乗った。

このエレベーターは、なんだかダンガン〇ンパの法定のシーン前を彷彿させる。

「ミキサー、使えんのか」
「練習しました」
「…そか」

顔も見ずに話しかけてきた伊東さんに、北沢はさらに不安感を覚えてしまった。

うまくやらなければ。

怒られないようにしなければ。

女性のオバハン記者、松浦さんと合流し、ハイエースの後ろに発信機がついているでかい車に乗り込んだ。

大抵、取材の流れは車の中で記者にざっくり確認を取る。

「今日ね~、ちょっと人がたくさんいる取材になりそうなんですヨォ」
「あ~、人が多いのか、お前も周り気を付けんだぞ」
「え、は、はい」
「ブーム(マイク棒)が一般市民に当たったら訴訟問題になりかねんからな」

より、北沢は緊張した。

松浦記者からの情報、取材の流れはこう、

①現地に行き代表の人に記者が挨拶。
その際、映像班は建物の外観が必要な場合は撮影をする。
今回、施設で一通り認知症の徘徊に関する講習の後、実際に訓練に臨むとのことだ。
どこで行われたかで映像として必要になる可能性があるため、一応撮るとみていいかもしれない。

②講習会が始まる。
記者がピックアップしている人の講習を重点的に撮影する。

③講習会後、訓練が始まる。
本取材の主人公になる人がいるとのことで、その人をメインにして取材、質問をしつつ撮影。
訓練の流れは、徘徊している認知症の高齢者がいるとのことで、地域住民ボランティアが捜索を開始し、高齢者の発見、声のかけ方についてを講習会で行ったため、その通りに実施する。
といった内容である。
それに沿って、撮れるものを撮る。

④本取材の主人公位置の人、そして今回のボランティア団体の代表者にインタビューをして、

この取材の任務は完了というシナリオだ。

さあ、北沢はこの流れをつかんで無事に帰局することはできるのか――


北区まで、車で移動すること、およそ50分。
目的の地へと到着した。

予想通り、記者が代表者たちへ挨拶へ行っている間に、建物の外観を撮る。

「ああ!」
「ど、どうしたんですか」
「選挙ポスターだ」
「え?」
「選挙ポスターは映しちゃいかんのよ」
「あー!政党に加担しているようにみえるからですか」
「そうそう!お前、賢いな」
「へへ、恐縮です」

講習会が始まる直前、伊東さんはマイク音声取材初めての北沢にそっと耳打ちした。

「スピーカーを狙え。みんなマイクでしゃべるから」
「…!わかりました」

こうやって現地でいろいろ教えてくれて超助かる。

ふと、公演中に伊東さんが撮影をやめた。

「もう撮らんでいい、メインの人終わってるから」

そう耳打ちされ、伸ばしていたブームを縮めた。

ここまでは超順調。
どころか、北沢は完全に油断していた。
これで終わりであると錯覚していたからである。

「ではこれから、徘徊した高齢者の発見の際の訓練を行います!
周りの安全を確認してから、優しく話しかけてあげてください!
徘徊高齢者担当のボランティアはすでに徘徊してくれており、蛍光緑のジャンパーを着ています」

アナウンスは響く。
ぼんやりしていた北沢は、少し遅れを取った。

「ほら、刺せ、刺せ、行くぞ」
「はい!」

カメラの後ろに、マイクをつなぐ3ピンメス穴が存在する。
そこに再度講習会でも使用していたミキサーマイクをイン!

取材再開である!

今回の主人公になるのは、ボランティア団体所属4年目50代の女性だ。
自身の父が認知症になったことをきっかけにボランティアに参加する決意をしたという。

マイクを頭上にあげ、少しインタビュー。
このくらいは余裕。
ブームは少し重いけど、インタビューで長時間になることもないからだ。

「じゃあ、探しに行きましょうか」

主人公女性がそういうと、そのまま歩き始めた。
訳が分からない。

カメラマンとライトマンはこのまま後ろ向きで歩かなければならないのか!?

伊東さんが早口で話しかける。

「俺のベルトを持て!そして引っ張ってゆけ!周囲に気をつけて事故なんか起こすなよァ!?」
「はォァい!!」

そう言われて咄嗟に腰のベルトを持ち、半ば後ろ向きで引いて歩きだした。
伊東さんは真後ろを向いて歩く。
これが非常にむずいのだ。
いわゆる、ドリーバックと呼ばれる手法。

マイクは上げつつ、伊東さんをひき、周囲を確認し…。
やらなくてはならないことが多すぎるし、全然徘徊高齢者役の人も見つからない。
腕も段々疲れてきたし、ブームのグリップ部分もゆるくなってきた。

焦る。

焦る、焦る、焦る!

音が割れていないかもチェック!

周囲に車が来ていないもチェック!

マイクの影が入らないように進む!後ろ向きで!!

すると、徘徊高齢者役の人のジャケットが見えた。
瞬間、これまで歩いていた主人公女性が走り出したのだ!

本人が走るとカメラマンとライトマンも走らなければならない。
しかも下り坂。
転がり落ちる可能性もある。

伊東さんは主人公女性をかわし、後姿を撮影。
正直、こうするしかなかった。


「大変だったなあ」
「…ですね。でも、伊東さんのおかげでなんとかなりました」

無事取材を終え、帰局。
腕はパンパンにむくんでいた。

北沢はブームを強く握っていた手を、ジンジンする血潮を感じながらしばらく眺めていた。

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