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走れ!ライトマン#7
スポーツのルールが分からなくとも、スポーツ観戦はできるし、点が入れば盛り上がる。
そんなことに最近気づいた北沢は、田舎のとあるスタジアムに取材しに来ていた。
取材内容は、ラグビー日本代表決定戦準々決勝。
野球の時のようなBカメ席ではなく、屋上に近いようなところからカメラを向ける。
自分の2周りも3周りも身体の大きいラガーマンが、上から見ると非常に小さく見えた。
ラグビーボールを持っている人間がきれいに整列し、後ろへ後ろへと均等にパスを回していく。
信頼感や肉感がここまで伝わってくる。
なにより計算されたかのような美しいパス回しに感動したのだった。
スクラムも近くで見る映像でも迫力があるだろうが、上から見てもその屈強さは圧巻である。
もしあのスクラムの中に自分がいたのなら……。
そんなことを考えているうちに試合は終了した。
スポーツ取材に慣れてきた北沢は、様々な現場に連れていかれた。
ある日は、バスケットボールの注目選手を撮りに。
またある日は、オリンピック有力候補である新体操を頑張る女子大生の練習風景を撮りに。
北沢はスポーツ取材を完全に舐めていた。
スポーツ取材のほとんどは、選手に注目がいくため、撮影するものは決まっていたからだ。
大抵は、練習風景か試合の雑感、練習前、試合前、その後にインタビュー。
コーチや監督にインタビューができればしておく。
カメラマンは球を追ったり、美しさが際立つような画角を見つけ出さなければならないが、ライトマンはそんなに難しい仕事をしない。
板付きインタ、インタビュアーが椅子に座ってインタビューする時、その際の照明の当て方も回数を重ねるごとに慣れていった。
それにスポーツ取材を担当するカメラマンはベテランであることが多い。
カメラマンがベテランだと、ライトマンへの指示も的確なので、それもまた楽なのだ。
ここまでの北沢は、これから競技場でたじろぐことになることなど知る由もないのであった。
サッカー伝説のゴールキーパー、岩崎正義が引退すると表明し、引退セレモニーが行われることになった。
それを撮りに行く。
今回のカメラマンは浅岡カメラマン。
旧帝大卒の新卒エリートと、言いたいところだが、センスは皆無の新人カメラマンだ。
若くて元気ということだけが取り柄の浅岡も、新人のライトマンとの仕事と聞いて不安を感じているところだった。
そして、デスクから伝えられたのは、
「今日は、浅岡の後ろを追ってくれ」とだけ。
本当にそれしか聞いていなかった北沢は、いつも通りのスポーツ取材の準備を進めた。
「北沢くんいますかあ」
「はい、僕ですが」
「よろしくお願いします、浅岡です」
(なんだ、礼儀正しい人じゃないか……同じ新卒同士仲良くできたらいいな)
「……、君が北沢くんか」
「?、そうですが」
「案外小さいけど、大丈夫なのか?」
「……!」
(この人、……もしかして、無礼?)
「まあいいや、ほんとに三脚もって俺の後ろついてくればオッケーだから」
「わかりました」
何故、後ろを追えしか言われないのか、謎だ。
「ちなみに、何を撮るとかって聞いてますか?」
「は?そんなことも知らないで仕事しようとしてたのか?」
「すみません」
何故、こいつはいちいち鼻につく言い方しかできないのか、謎だ。
「引退セレモニー中の観客の雑感を撮るんだよ」
「なるほどです」
あまりうまがあわないカメラマンと当たってしまったなと、北沢はため息をついた。
やってきたのはコトブキ競技場。
取材クルーは3組。
ベテランカメラマンとベテランライトマンのペアが2組と、補助同然の浅岡北沢ペアだ。
今回はここで、練習試合を行った後、引退セレモニーが始まるのだ。
なにも話を聞いていなかったが、浅岡カメラマンの練習として、練習試合を撮影することになった。
三脚を担いて、指定された場所に置き、カメラマンはテープをまわす。北沢は担いでは置き、担いでは置く。
楽である。
サッカーの試合は非常にもどかしいもので、なかなか点数が決まらない。
しかし、今回の試合は「都内スミスミパス」VS「高坂オリエンタル」で「都内スミスミパス」が局の本拠地チームだし、圧倒的に優勢だ。
だからこそ、撮影位置はそんなに変わらない。
ぼんやりとサッカーの試合を見ていれば、仕事は終わる。
一点入るたびに選手同士は飛び上がって抱き着き合い、はしゃいでいる。
本当に点数が入りにくいスポーツだからこそ、一点の重みは計り知れないのだ。
珍プレー好プレーはわからないが、スポーツ取材のいいところといえば、やはり純粋にスポーツを楽しめることにあるとしみじみと感じていた。
そして、練習試合は無事終了し、2-0で「都内スミスミパス」が勝利した。
いよいよ「都内スミスミパス」で長年ゴールキーパーとして戦ってきた、岩崎正義の引退セレモニーだ。
練習試合を行った選手が退場し、岩崎選手がスーツ姿で現れた。いや岩崎元選手になるのか。
たくさんのサポーターに見守られる中、奥さんと子供から大きな花束を受け取り、演説を行う。
「コトブキ競技場にお越しのみなさん、こんにちは。都内スミスミパスのゴールキーパーだった、岩崎正義です……」
響き渡る岩崎の演説。
一言一言に沸き立つ歓声に最初はハッとしていたが、それも長らく続けば飽きるものだ。
演説が終わるまでの時間ってなんでこうも長く感じられるのだろうか。
ぼんやりしていると、浅岡が言った。
「そろそろ来るぞ、準備しよう」
「準備?」
カメラを置き、アキレス腱をのばし始めた浅岡に違和感を覚えつつ、浅岡のためにちょうどいい高さに三脚を調整した。
北沢は不思議に思っていた。
何故、浅岡は望遠レンズを使用しないのか。
大抵の場合、遠くの対象物を撮影する際、望遠レンズを使用する。
また、その逆もあり、近接物を撮影する際には近接レンズを使用するのだ。
レンズについては、特に準備をとも言われていないし、なにより機材室において来ていた。
やはり新人が使うには高価すぎるのかもしれないとも思えてきた。(カメラも十分高価なものだが)
そうしているうちに、ついに演説が、おわった。
「これで、岩崎正義引退セレモニーを終了いたします」
わーっと声援が響く。
「え、終了?」
その瞬間、三脚をつかみながらきょとんとしていると、
カメラを担いだ浅岡がダダダダ――とまっすぐに走り出したのだ。
ライトマンが教育されるものの中に、カメラを持ったカメラマンとはぐれてはならない、というものがある。
よく教育されていた北沢は咄嗟に浅岡の後を追ったのだ。
速い!速すぎる!
左側に担いでいる三脚がガンガン肩にあたる。
痛いが今はそんなことはどうだっていい!
浅岡に追いつかなければ意味がない!
走れ!北沢!
流石は新卒、体力だけはありそうと思っていたが、こんなに速いとは思ってもみなかった!
どのくらい速いかというと、女子高生(運動部)が精一杯漕ぐ自転車くらい速い!
追い付けそうで追い付けないながらも、何とか意地で走った。
浅岡は三脚が欲しい位置を指さす。
たたまれていた三脚を、ガッと開き、位置を目指して、置いた!
「うおおおおおおお!!」
さながら少年漫画のようだ。
岩崎元選手は右から周り、我々は左から周る。
位置を変えたくなると、浅岡は三脚からカメラを離し、再び全力疾走し位置を指さす。
体力は正直限界に近い。
自分が思っていたよりも体力がないと知った北沢からは吹き出る大汗で身体の隅々がびしょびしょになっていた。
「うおおおおおおおおおおおお!!!」
もはや三脚は開いたまま、全身全霊、全身全力、全力疾走!
位置を目指して、置く!
しばらくして、素材が十分に撮れたのか、浅岡は走るのをやめた。
ホッとして浅岡を見た。
彼は、泣いていた。
大きな瞳から小石くらいの涙の粒がボロボロと零れ落ちる。
鼻水もじゅるじゅるで、鼻の穴の両方から出るもんが出ている。
「すげえよ、岩崎!あんたはすげえよ!」
どうしてサッカー選手を引退するだけで、サポーターはこんなにも泣きじゃくり、声援を送り続けるのか疑問で、その強い思いが、情熱が、浅岡の胸を突き刺したのだ。
「北沢あ!俺、サッカー好きになったよ!」
「…、はい!」
なんのこっちゃと思ったが、ガッツポーズを決めながら号泣する浅岡を見たとき、胸がくすぐったくなった。
全力疾走したときの動悸とは違う、じんわりと温かいものだった。
「北沢くん、大変だったんだってね」
「堀江さん、お疲れ様です」
「聞いたよ?競技場を逆走したんですって?」
「え……?」
間違ってはいないので、否定のしようもないが、機材室では新たに「コトブキ競技場を逆走した男」という不思議なレッテルがしばらく貼られたのであった。
家に帰って風呂に入ろうとしたとき、鏡に映った左肩の大きな青痣を見たとき、北沢は本当に頑張ったと胸を張れるような気がしたのと同時に、どっと疲労感がでた。
スポーツ取材はこりごりだと思ったのだった。
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