dropout
(医療の)ドロップアウトだけは絶対にしない、危ないとわかっているのにやってしまうそんなひとの気持ちがわからないと思っていました
通院は私にとって当たり前だと やることなんだと そう思っていました
先日大学病院に定期通院に行きました
診察の時に、5月に撮ったレントゲンを見ながらの主治医の「三か月前と変わりないと思います」という言葉でその思いが揺らいでしまいました
10歳の頃から、「成長が止まったら」「高校生になったら」「高3になったら」再手術って言ってたじゃないか。カテの後、血が半分近く逆流しているって言ってたじゃん。こども病院から移行する前にそろそろ手術の時期だって言ってたじゃん。なのに大学病院にいったらあと数年待ちましょう? 10年以上前からの予定がどんどん先延ばしってなんでだよと。先生たちは「もうちょっと待てる」という言葉で終わるのかもしれないけれど、わたしからしたらその時々にしてきた「手術に対しての覚悟」「学業との兼ね合い」「今よりも楽になるという期待」を一言で片づけられているような まあ「約束を破られたこども」のような気持ちでした。それは移行して一年たつ今でも変わりません。こんな事なら信頼するこども病院で手術してもらえばよかった、とも。
「かわっていません」といわれ続けて、「心臓の負担が減る''可能性がある''薬」って、あくまで可能性の話でしょ?飲まなくてもよくない?とか、そのために早起きして、学期中であれば学校を休んでまで病院に行く意味って何?と、思ってしまった。寝不足のせいもあると思うけど。
こども病院の時は年に1回で夏休みだけだったこともあって、学期中に行くのがな…と思ってしまって。
わたしも、何年も病院に行ってなくて危ない状態で搬送された人いる、って話は知ってますし、ドロップアウトの危険性はわかっているつもりです。それでも、意味を感じられないと、思ってしまいました。
こども病院のときはそんなこと思わなかったのに。先生との相性かな。考え方の違いかな。まだ先生を信用できてないのだと思います。できるだけ、予定をしっかり立てたいと思うわたしvsまだ早いからあと数年待ちたい いつになるかわからない先生 だと、まあ話が平行線でよくない
あとはただただ大学病院に行きたくないのかな(これはけっこうある)
次は3月。
ただの本音の吐露でした。
naru
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