見出し画像

太陽神殿と決定詞

第四王朝(紀元前26世紀)の王たちがギザの三大ピラミッドを完成させたとき、ピラミッドの建造技術は極まりました。エジプト文明がその黎明からたった数百年のうちに、未踏の領域に達したことは驚くべきことです。次の第五王朝(紀元前25〜24世紀)のファラオもピラミッドを建てましたが、すべて小ぶりで、ギザを超えるものはついに現れませんでした。その代わり、彼らは一風変わった建物を考案し、一代に一基ずつ残しました。クフ王のピラミッドが「クフの地平線」と呼ばれたように、エジプトの建造物には固有の名称が授けられる習わしです。一風変わった建物たちの固有名も記録に伝わっています。しかし、「ピラミッド」(エジプト語でmr)というジャンルに対して、それらが一般的に何と呼ばれたのかは不明です。それゆえに、どんな役割を果たしたのかもよく判っていません。研究者は便宜的に「太陽神殿」という様式名でまとめています。

急に話が変わりますが、エジプト語には決定詞と呼ばれる品詞があります。同音意義語がたくさんある場合、決定詞はとても便利に機能します。例えば、「講」と「構」は「こう」と読みますが、意味は違いますよね。その違いを示してくれるのが、言(ごんべん)と木(きへん)です。エジプト語にも同じような記号があったのです。「美しい」という意味のnfrを例にしてみましょう。次の三つの文字で表します。縦長の最初の文字だけでnfrと読みますが、蛇(f)と唇(r)の記号も付け加えます(なんで余分なものを?と思う方は「象形文字ヒエログリフ」の記事をご覧ください)。

次に、「美しい人」という意味の人名を考えます。とっても簡単です。

座る男の記号(決定詞)を加えて「美男(よしお)」の完成です。可愛らしいでしょう?女の子も欲しくなりますよね。

女性名詞の語尾にはtを加える決まりなので、それも付けます

はい、美子(よしこ)です。長いドレスと長髪の女の決定詞に替えます。決定詞には音価はないので、発音しません。人の形の決定詞はたくさんあります。作る動作、動く動作、横になる動作、さまざまです。

人の決定詞は種類がとても多い。これはごく一部

え?今どき「〜子」なんて古臭い?まあまあ、もうちょっとお付き合いください。太陽神殿の話に戻らなければなりません。先に触れたギザの大ピラミッド「クフの地平線」は次のように書きます。やはり、最後の決定詞は読みませんが、建物の形状を伝えてくれます。

一方、記録に伝わる6基の太陽神殿のうち、実際の遺構が発見されているのは、ウセルカフとニウセルラーのふたりの王の神殿だけです。両方とも保存状態は悪く、基礎しか残っていません。台座らしき大きな構造物は考古学上、確かめられましたが、その上にどんな形の建物が載っていたのか判らないのです。そこで、研究者は決定詞に注目しました。ニウセルラーの太陽神殿は「太陽神の心を受け止める者」という名を持ち、次のように表記されました。

ニウセルラーの太陽神殿の呼称。第五王朝の高官チィの墓(サッカラ)の碑文より

台座の上に細長いものが載っています。こんな決定詞は他に見たことがありません。ピラミッドとはちょっと違うけれど、なんだろう・・・。じゃあ、ウセルカフの太陽神殿の名前は?

ウセルカフの太陽神殿の呼称。左端が決定詞。
実物の石板はサッカラの博物館に収蔵される(no. S/9221)

ん?土台の上に・・・棒?・・・他の神殿も見てみましょう。

他の王の太陽神殿の呼称。第五王朝の高官チィ(サッカラ)とヘムウ(ギザ)の墓碑より 

あれれ、鋭く尖ったのもあるし、台座に何も載っていない決定詞まであります。

そうなんです、太陽神殿の決定詞は形が多様で、参考になるどころか、ますます混乱を誘うんです。同一の神殿を指す場合でも、決定詞がコロコロ変わる場合まであります。そこで、研究者たちは太陽神殿は何度か改築されて、外見が変容したと考えました。このうち、最終形態は、ニウセルラーの神殿名の決定詞にあるような、ちょっとずんぐりして先の尖った多面柱だったという説が広く支持されるようになり、それに基づいた以下のような復元図が流布しています。歴史の復元って難しくて、実は想像以上にあやふやなんです。

ニウセルラー王の太陽神殿の復元図
F. Bissing, Das Re-Heiligtum des Königs Ne-woser-re, vol. 1 (1905) の扉絵より
私なりの本気の復元

実際にどんな形をしていたかはさておき、露天の空間に巨大な台座を据えるのは後にも先にも例がありませんでした。空に向かって何かを祈ったのでしょうか。比類のない実験的事業だった太陽神殿は、第五王朝の終焉とともに歴史から姿を消しました。これらを建てた王たちは、近くに墓としてピラミッドを別に建造したので、どうしてこんな建物をあえて造ったのかますます謎です。すべての呼称に太陽神ラーの名前が含まれるので、私たちはとりあえず太陽神殿と呼んでいるに過ぎません。千年後に、トトメス三世の伝令だったイアムウネジェフという人物は、ウセルカフの太陽神殿を視察したときに現地に墨書を残しました。それには「このピラミッド(mr)を見るためにやって来た」と記してあります。つまり、彼の時代にすでに建物は荒廃し、原形を留めていなかったようで、ピラミッドだと思い込んだのです。

巨大な建造物を小さな小さな決定詞から復元する試みはとても面白いですが、ちょっと頼りない気もします。でも、太陽神殿はどうやら姿を変えて後代に蘇ったようなのです。どう進化したのでしょう。そのお話はまた改めてご紹介しますね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?