教員時代について振り返る。

Hola!


最近ふと、以前自分が教師として働いていた頃について思い出す時があり、みんな大きくなってるんやろなぁ〜と、あの頃が懐かしくなる瞬間がある。

たった3年だけだったけど、あの経験は私にとってはかけがえのないもの。


なんとなーく教員になってしまい、周りの同期の子たちと比べたら熱いものはそんなに持ってなくて、子どもたちにはちょっと冷めた先生で申し訳なかったかもしれないと思う。

朝から夜遅くまで毎日働いて、それでも仕事は終わらず休みの日にも仕事しに行ったり、家に持ち帰って仕事したり。

今その働き方できるかって聞かれると絶対無理!って思うけど、あの時はやっぱり子どもたちが可愛くて、子どもたちが喜んでくれるならとがむしゃらに働いていたな。


今思うときっと自分の自己満でしてたことが多くて、子どもたちはきっとそんなことよりも、もっとこんなことしてほしかったんじゃないかとか、こうしてあげればよかったとか思うことはいっぱいある。(あの時は怒ってばっかでごめんね、みんな。)



私の大学時代の友達は今もほとんどみんな教員として働いている。

仕事の話を聞くたび、やっぱりみんなすごいなーって思う。

みんな土日も関係なく働いている。

ほんとに子どものことが好きか、教員の仕事が好きって人しか続かない仕事だと思う。


でも、やっぱりみんな自分の教え子の話をする時は何だか嬉しそうで、その感覚は自分はもう味わえないから羨ましいなと思うことがある。

教員の過酷な労働環境でまた働ける自信はないけど、それがもっと改善されたら、教員に戻ってもいいかなぁ〜とちょっと思う。




そんな私は2年ほど前に、私が6年前に初任で担任していた教え子と、アメリカから成田空港に帰る便の中で会うという偶然が!しかもその子は私の斜め前の席!

お母さんが飛行機降りる時に、もしかして、、、と声をかけてくれた。

その子は当時からとってもいい子だったから(笑)私もよく覚えてた。


私が教えていた時は、彼女は小学校3年生で会った時は中学校3年生。

面影は残っていたけど、身長もだいぶ伸びて大きくなってて、嬉しいような寂しいようななんとも言えない気持ちになった。


少しお母さんと彼女と話をして、6年経っても私のことを覚えていてくれたことと、当時から得意だった英語の勉強をさらにがんばっていることがわかって嬉しかった。


この出来事があって、私の存在が子どもたちの人生の一部に関わってたんだなということを実感した。

彼らにとったら(覚えてるかどうかは別として)、私は一生「先生」という記憶として残る。これって今思うとすごいことだな。




いつになるかはわからないけど、いつかは教員の仕事に戻るのもいいかなって考えてる。


普通からは外れた、世間一般で言うちゃんとした人生は歩めてないかもしれないけど、自分のこれまでの経験をいかして、いつか誰かの背中を押してあげられるようなことができたらいいなと思ってる。


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