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朝顔日記 まだ咲き続けています。

虫が付きました。最後に写真を掲載しましたが、ギョッとするような大きな虫です。

「花は根に』と書いたものを書き加え編集しました。

この頃毎朝早く、朝顔を見に外へ出ます。
朝顔は初めちょっと小ぶりかなと思いましたが、咲き続いているものを見ると去年と変わりありません。
去年までは苗で買って植えていましたが、今年はこぼれた種から出た苗を大事に育てました。
この頃は毎日20輪くらい咲きます。

ラジオで『朝顔日記』という講談を聞いた覚えがあります。
題名からは夏休みの宿題のようですが、子供の話とは違う恋の話です。中学生だったか高校生だったかのころ、連続放送の講談に夢中になったものでした。
検索してみると,
浄瑠璃・歌舞伎劇。講釈師司馬芝叟(しばしそう)の《蕣(あさがお)》を原拠とし,現行のものは1832年初演の《生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)》による。秋月家の娘深雪(みゆき)が恋人の宮城阿曾次郎(みやぎあそじろう)を慕って家出し,盲目の門付芸人朝顔となり,恋人の残した歌をうたいながら流浪する哀話。島田の宿で恋人と会いながら,朝顔が盲目ゆえにそれとわからず,あとで知り半狂乱で彼を追う〈島田宿戎屋〉の場から〈大井川〉の場が有名。
と出てきました。
すれ違いでいつまでも巡り合えない恋人を、盲目になるほどに苦労をしながら捜し歩く「朝顔」(本名深雪)が、次の放送では逢えるのだろうか、と気を揉んだことを思い出します。

朝顔の花は一日で萎みます。そのままにしておきますと汚くなりますので、
前日に咲いたものは摘んで根に戻してやります。その時にいつも下記の(千載和歌集に掲載されている)和歌を思い出します。

《花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき》(崇徳院)
崇徳院は白河院の子とされる逸話(真偽不明)があり、父親の鳥羽上皇から疎まれていました。白河院の死後讃岐に流されて寂しい最期を遂げたということです。
崇徳院自身は穏やかな歌人で千載和歌集などに素晴らしい和歌を残していますが、死後に都を襲った疫病や災害が崇徳院の祟りとされました。彼を疎んだ人たちの「気の咎め」からだといわれています。

この歌を思いだすとき千載和歌集ですが、これを引用した能『東北』(とうぼくと読みます)のキリ、仕舞と謡を思い出します。
俳句では「花」と言えば桜のことですが、古い昔には「梅の花」だったということです。京都で「軒端の梅」という名の古木を見たことがあります。
能(謡曲)『東北』は恋多き人と言われた和泉式部が御堂関白(藤原道長)が訪れたことなどを旅僧に語り、旅僧の読経に救われて成仏するという、三番目ものという極めて優雅な能です。

能は笛、鼓(つづみ)、大鼓(おおかわ)、太鼓(たいこ)などが囃を演奏してシテ方ワキ方狂言方などが演じる歌劇です。この歌劇にはシテ方の地謡が付いてナレーションの部分と役謡の一部を謡います。
謡曲または謡、というのはその一部を座して謡うことを言います。
仕舞は一部分の舞を舞うことを言います。

年数回の謡(仕舞も)会では紋付きの着物(羽織はなし)と袴をつけるのですが、この季節、浴衣会または浴衣浚いといって浴衣がけで、自分の演じる時以外にはくつろいで見る「お楽しみ会」が催されます。

私たちには古典の文学など遠くなっていますが能は古典の粋を集めたものです。
一度能楽堂に足を運んでみれば病みつきになること請け合いです。能楽堂で無料でもらえるパンフレットで情報を得て都合の付くときに足を運んでください。

世界に誇ることのできる文化遺産『能楽』が、今危機に陥っています。
どうか応援のほど、宜しくお願いいたします。
                    二〇二二年七月二九日

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朝顔の葉にこんな虫が付きました。
雨上がりには花が咲きませんでしたが二日ほど降らなかったらまた咲き始めました。
しぼんだ花と枯れた葉を摘み取っていましたら、ギョッとするような虫がついていました。

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