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義母の命日

2007年10月17日6時半ころ義弟から、
母がつい今しがたなくなりました。と電話がありました。


ここ幾日も食べ物を受け付けない。 ガーゼに水を含ませて橋で口の中を拭ってやると喜んでいたようだが、
昨日は昼間から様子が違うので交代で傍についていた。
一晩中付き添っていて今朝、およそ6時ころ眠ったまま息を引き取った。
疲れ切っていた時に母(義母)を引き取って2年近くも介護してもらって助かった。
この2年の間に上の子は国家試験に合格(土地家屋調査士)弟も就職できた。

と義弟が私らに礼を言ってくれました。
私も事業の借金があって、義母を返したその月まで銀行へ25万円から30万円くらい返済していましたが、
月々決まった20万くらいの返済が終わったのでした。 それさえ済めば後は短期の金額の小さな借金だけだったので、
年金とアパートの収入だけで生活し、余裕をもって返済することができました。
義母を小諸へ返したのが2007年7月10日でした。
義弟が義母を連れ帰ってから葬儀の日までが、ちょうど100日目でした。
その時からが老後の余裕ある人生だったように思います。

間もなく冬が来ます。
夜中小用に起きてついでに義母の尿パッドを取り換えるのでした。

「深夜とる襁褓の重さ寒に入る」
しんやとる むつきのおもさ かんにいる
                       2022年10月16日

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