#3 【GW読書】「それでも人生にイエスと言う」

こんにちは。
なるです。

GW中の読書第2弾です。
本選びのコンセプトは、だれか1人くらいは興味を持ってくれそうな本です。

紹介する本

2冊目は、「それでも人生にイエスと言う」を選びました。

コロナで自粛期間に入ってから長い人だともう2か月から3か月になりますが、親の喧嘩を見て、子どもが喧嘩をし始めるの如くいろいろなところで、各々のポジションで言い争いやらなんやらしている状況に気が滅入っている人も多くいると思います。

たまに見る米国在住のハイテンションなYouTuberですら最近憔悴している様子を動画であげていました。メンタルにきている理由は、やはり自分自身の問題よりも周りで大きな影響を受けている近しい人たちに対する心労のようです。

そんな状況の中でも、なにか心が軽くなるような、思考の転換になる本はないかと探し、読んでみたのがこの本です。

前置き

今回この本を選んだ理由は2つあって、まず、タイトルにすごくパワーを感じたことと、問題を相対化することにより身の回りで起きていることの重要度を小さく捉え得ないかと思ったからです。

本書は、ナチス強制収容所を体験した精神医学者の方が、解放された後に大学で講演を行ったときに語った内容を記したものです。

「いつ終わるか」が全く分からず、働けなくなったとみなされた人が次々ガス室に送り込まれる状況に「わざわざ自殺をしなくてもすむだろうという満足感すらあった」という著者が語った言葉を僕なりに解釈しました。

それでも人生にイエスと言う

まず「それでも人生にイエスと言う」という言葉をみて、僕はこの映画を思い出しました。

ただ、読んでみると分かるのですが、この本でいう「イエスと言う」は、イエスマンのように、「イエス」と言うこととは異なります。

本書における「それでも人生にイエスと言う」は、「人間はあらゆることにもかかわらず(どのような過酷な状況下でも)イエスと言うことが”できる”」ことを示しています。

大雑把に違いを言うと、他者の問いかけに対しイエスと答えるか、自分自身の意志に対しイエスと答えるかとも言えるかもしれません。

より具体的に「それでも人生にイエスと言う」とはどういうことかを説明するために、本書の中でも特に印象的だった章より以下の文を引用します。

私たちが出来事に対して責任をもつ限り、つまりその出来事が「 歴史」である限り、私たちのこの責任は、途方もなく大きなものになります。

というのも、まだ起こっていない出来事は、ほうっておけば、いつまでも起こらないままだからです。

しかし同時に、私たちは、まだ起こっていないことをまさに起こすよう、責任を自覚しなければなりません。

しかも、私たちの日々の仕事の中で、私たちの日常の中で責任を自覚しなければならないのです。

このようにして、日常がまったき現実になります。そしてこの現実がなにかを実現する可能性になるのです。

そしてそういう意味で、日常の形而上学は私たちを、まず日常から連れ出すけれども、自覚とともに、責任の自覚とともに、ふたたび日常に連れ戻すのです。

おそらく一読して、「なるほど、そういうことね!」となる人はいないと思います。僕も最初はなんのことかよく分かりませんでしたが、繰り返し読むうちになんとなくこういうことかなと思い始めました。
また、このことからも、イエスマンの「イエス」とは異質なものであることが分かっていただけるかと思います。

僕なりに、上記を解釈すると

「現在(いま)」には、無数の選択肢が存在し、その選択の連続が現実を作っている。してみれば、それまでの自分が経験した出来事もこれから経験する出来事も自分の選択の結果であって、私たちはその選択に対して責任を自覚しなければならない。
また、ある選択肢を選択「しない」ことによって、その選択肢が永遠に存在しなくなることを「選択」することに対しても責任を自覚しなければならない。

ということだと考えました。

著者は、自分の将来、あるいは自分の周りの事物と人間の将来に対する選択の自由(人間としての本当の自由)について、以下のように振り返っています。

残っていた眼鏡まで、顔を殴られてめちゃくちゃになっても、ある日ベルトを一切れのパンと交換せざるをえなくなって、とうとう持ちものがなに一つ残らなくなってしまっても、その自由はまだ残っていたのです。その自由は残っていた、最後の息を引き取るまで残っていた

いまできること

翻って、コロナ禍における自分の置かれた現状を考えると、いろいろとこれからの未来に不安を抱くこともあるものの、当然ながらそれはまだ頭の中で起こっていることであって現実に起こっていることではありません。(蓋然性が高いものもありますが)

一方で、いつコロナが収束するかも分からない状況ですが、それでも、「いま、この瞬間にどの選択を選ぶかという自由」はナチス強制収容所にいた著者と同様に確かにあります。

このことから考えると、今できることとしては自分のcontrollableな範囲でその瞬間瞬間で最善と思える(実現したい将来に近づく)選択を取ること、また、将来起こり得ることは今の自分の選択の連続の結果であると責任を自覚すること以外ないなと思いました。

おわりに

以上、雑多なまとめになってしまいました。

ここのところ読んだ本の中では抜群に難解で、著者の本意をすべて汲み取ることは難しかったです。
一方で、この本の内容を心から理解できれば自分自身の行動を変えうるなとも感じたので、今回はkindleで読みましたが実際に本も買って読み返したいなと思いました。

同じように漠然と未来に不安を抱えている人はぜひ読んでみてください。







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