人と人、人と地球の共生のために
モリゼミ・オープンレクチャ。昨日のテーマは、オランダ!
なかでも、気候変動との「付き合い方」を学ぶこと。
もともとオランダは、ライン川の河口部分の低地帯で、洪水などの風水害に散々苦しめられてきた地域。そして、それなのに、それだから?堤防を築き土地を守るだけではなく、堤防と風車による排水で土地を増やすことを続けてきた。オランダ語で干拓地のことをポルダーというらしい。
干拓地を維持、管理するために、ダイクラーフと呼ばれる水管理委員長に堤防管理の権限を集め、身分や階層を超えた協力と話し合いが重視されてきた。
そこから生まれた立場の違いを超えて話し合い、決めたことはやってみる。失敗したら、「うまくいかなかった方法を立証した」と考えるフレキシビリティが生まれ、政労使協調による「ポルダーモデル」と呼ばれる働き方も生まれたのだろう。
1999年「柔軟性と保障法」と2000年「労働時間調整法」により、柔軟性が高い労働力に対する雇用主側のニーズと、安定した収入、社会保障、就労継続に対する労働者側のニーズのバランスを取り、「フレキシキュリティ」という理念も生まれた。
(参考:「オランダのフレキシブル・ワーク」2017/村田)
大切な事は、日本と違い、市民(労働者)がきちんと声を上げ、それが大切な意見として尊重され、制度に取り入れられていること。
もし、日本で「労働時間の柔軟性」と言った時には、一方的に使用者側が求める成果主義と不安定な雇用を意味する新自由主義的な制度がイメージされないだろうか?
その違いは、なぜ、どこから来るのか?
どうすれば克服できるのか?
私は、ヨーロッパ大陸のど真ん中にある小国オランダが、激しい葛藤を経て獲得した知の伝統ではないかと考える。
オランダと言えば、SEXワーカーの権利や、マリファナの合法化といったことも含めて、多様性の尊重のイメージが強く、宗教的な規範とは縁がないように感じるかもしれない。
それでも、国民の4割はキリスト教徒(カトリック25%、プロテスタント16%)、ムスリムが約5%といった感じで、無宗教は約半数強。
ここに至るまでは宗教戦争も含め、フランスやドイツ、スペインといった大国との強烈な葛藤があったことだろう。
そしてWWⅡでは、アンネ・フランクの悲劇の舞台にもなる。
多文化主義の実践と、統合の実践、その挫折と再生。。
やはり、その根本には、本当のことを見極め、うまくいく方法を探すための知の実践があるように思える。
なんだか、社会政策によった話しになってしまった。
でも、環境政策も、都市再開発も、移民政策も、教育の在り方も、みーんな繋がっていると思う。
地球温暖化、が言われたのは20世紀、もう30年ほど前のこと。
気候変動の具体的な実感が伴ってきたのは最近かもしれないけど、その事実といかに向き合って、不可能を可能にするのか?
その実践は、もしかしたら知的なアートなのかもしれない。
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