鶏口牛後の是非について

鶏口牛後という言葉がありますね。寧爲鶏口無爲牛後(寧ろ鶏口となるとも牛後となる勿れ)という蘇秦の言葉から来ています。大国の後ろに引っつくよりも、小国を牽引すべきだというわけです。
これが応用されて、たとえば難関校でビリの成績になるよりは一段低い学校のトップを狙うべきだとよく言われます。まあ、現実にはそんなことは凡そあり得ないと言うことだけ伝えておきたい。
まずね、ある程度の範囲内ならば、どんなところへ行ったって、基本的にトップもビリも一段違う人間がいます。あなたが行った先の学校で学力的に相当余裕があって、周りが頭の悪いやつばかりだと思ったとしましょう。では、五教科の成績でずっとトップをキープすることはできますか? なんだかんだ、ずば抜けて英語だけできる奴とか、国語適当に書いているのにいい点が来る奴とかがいて、五教科トップキープはなかなか難しいのが相場だろう。
だからね、わざわざレベルを下げてまで受験する必要はありませんよ。第一志望校に向けてまっすぐ突き進んでください。
折角なので二月らしい季節感のある文章を書きました。時候の挨拶みたいなもんですね。実際にはどうでしょうか。自分より賢い人がいることは、勉強のモチベーションになると思いますし、鶏口となる必要はないように思います。では牛後になるリスクは勘案しなくていいのかというと、地頭はさておき、働きアリの法則と同じでビリには怠けているやつがいるので、怠けなければ平均にこそ乗らなくてもふだん下の二割に入ることはないのではないかと勝手に考えています。
まあ勿論、怠けているけど賢いような連中は受験で本領発揮することもあるのですが、わざわざレベルを下げたところでお山の大将をやって頭を使わずに生活するよりは良いことです。だいいち、自分より遥かに賢くて到底敵わないような類の人間がいて、自分は天才ではないと知ることは遅くないほうがいいと思うけれども、どうでしょうか。

ちなみに原義の鶏口牛後については、一長一短としか言えません。大国にくっついたほうがその後有利に働くかもしれないし、小国の座に甘んじつつも独自路線を築くのが良いかもしれないし。これはEU加盟問題にどこか似ていますね。イギリス人も『史記』を読んで縦横家の活躍を学んだのでしょうか。学んでいたら面白いな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?