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團十郎白猿襲名披露巡業公演(盛岡・2023.10.26。速報的)

團十郎の名跡を襲名して十三代目となった、市川團十郎白猿の襲名披露巡業が今月から来月にかけて行われているが、10月26日に盛岡で行われたので、たった今見物して来た。
会場は盛岡駅西口の盛岡市民文化ホール(通称マリオス)で、私が日頃仕事に使っている岩手県立大学のサテライトキャンパスのあるビルのすぐ隣なので、今日は大学での仕事の合間にちょっと歌舞伎を見て来る、というなかなかない経験をすることが出来た(歌舞伎自体も仕事の内なのであるが)。
演目は、舞踊(『松竹梅』)、口上、『毛抜』の三つで、三十分の休憩を挟んで二時間弱、普通なら『毛抜』の後にもう一つ長いのが来るところであるが、今日はそこで打ち止めであった。
会場の前には團十郎白猿公演を示すポスターや看板の類は全くなく、受付を入ってこれだけ立っていた。

会場ロビー内のポスター

席は二階の下手寄り前から二列目で、会場はこんな感じである。当然この劇場にもともと花道はないが、左側に花道風の短い道が設えられている。

盛岡市民文化ホールの内部(下手の花道風廊下)

ここは大学の卒業式が行われる所で、一度演出側で仕事をしたことがあるので、舞台裏や楽屋は知っている。舞台から近い所に鏡のたくさんある楽屋があるので、多分化粧等の準備はそこで行われたのだろう。上の幕の下には、伊藤園寄贈の幕が隠れていた。

十三代目への寄贈の幕(1)

少し拡大。

十三代目への寄贈の幕(2)

市川團十郎白猿の名と成田屋の紋を写す。

成田屋

口上は、先頃所謂人間国宝に選ばれた中村梅玉と團十郎白猿とによって行われた。
私は勝手に梅玉丈のことを「思索する歌舞伎役者」と呼んでいるのであるが、今日の長い口上も、ユーモアを交えた「哲学風口上」であった。途中はまるで学会での「歌舞伎論」の発表のようで、面白かった。その趣旨は、歌舞伎においては「型」を守り伝承することが最も重要であり、團十郎白猿もその使命を担っているが、同時に如何にしてそこに新しい要素や創造性を加えて行くかが、現在進行形の歌舞伎という芸能を発展させて行くために大事なポイントになっており、團十郎白猿は海老蔵時代から様々な試みに果敢に挑戦して来た。今後、その両者を同時に追求することで、歌舞伎を伝承・発展させて行く使命が團十郎白猿には掛かっている。それは「言うは易く行うは難し」と、梅玉丈は付け加えていた。
以前からそうであったが團十郎白猿の口上も面白く、梅玉のそれが上述のように「哲学風口上」であるとすると、白猿のは「落語風口上」で、途中に「岩手(いわて)がなぜ岩手(いわて)と呼ばれるようになったのかの由来」を語るまさに落語風の語りが現れ、ユーモアと共に客席を沸かせた。
口上だけでこんなに楽しめることは滅多になく、共に傑作であった。
今日のメイン『毛抜』には、團十郎白猿の他、中村梅玉、市川右團次、中村児太郎、大谷廣松、中村莟玉、市川九團次、片岡市蔵らが出演した。
この作品は歌舞伎十八番の中でも『勧進帳』と共に最も筋が分かりやすく楽しめるものである。磁石仕掛けのトリックや男女双方との主人公のエロティックな場面等ストーリーが面白い。しかし、今回の芝居は作品の構造が際立ち、ということはリアリズムと言うより様式的・表現主義的な色彩が強く、更に言うなら祝祭的な雰囲気も強く表れていた。(個人的に私の好みに近い。)それを強調するために團十郎の語りはメリハリが大きく、結果として、荘重な効果だけでなく、滑稽な効果をもたらす部分も多くあり、面白かった。この時代の江戸歌舞伎によく現れる「~です」という語尾の音の響きもまた新鮮であった。
余談であるが、香川照之(市川中車)の突然の闖入によって「猿之助」になるかも知れないという可能性を奪われ結果として「市川右團次」となった右團次は、團十郎白猿の適役として、今回闊達な演戯を見せてくれた。
コロナの間に海老蔵は團十郎白猿に飛躍しており、その間のプロセスを見極めることは私には出来なかったが、海老蔵後期のあのちょっと痩せた感じ、ちょっと暗い感じ(あくまで私の主観)が、今回は抜けて、何かかなり明るくなっていたような気もした(勿論演目のせいかも知れないが)。何れにせよ、御本人はそんなことは気にしていないのかも知れないが、暗さも明るさもすべて含めたような、スケールの大きな芝居をする中堅の歌舞伎役者の中で、この人が最も大きな存在であることは確かだ。これをきっかけに、また歌舞伎座、新橋演舞場等々と、その芸と作品を見届けてゆきたい。




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