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私にライバルはいただろうか?

その昔、日本航空の「winds」という機内誌の編集に携わっていたとき、「ライバルの視線」という連載を担当していました。私はスポーツが好きだったので、何かスポーツに関する特集か連載をやりたいといつも考えていました。特にスポーツにおけるライバルとの宿命の対決は最大の醍醐味です。

ライバルとは何でしょうか?

古くは星飛雄馬と花形満(巨人の星)、矢吹丈と力石徹(あしたのジョー)、大空翼と日向小次郎(キャプテン翼)といったライバル同士の闘いは、スポーツ漫画に欠かせない必須条件でした。

ときには大きな壁となって自分の前に立ちはだかり、ときには自分を奈落の底に突き落とし、ときには埋もれていた自分の潜在能力を引き出し、お互いに切磋琢磨しあい、お互いに頂点を目指すために闘い続ける――ライバルとはそんな存在です。

そんなライバル同士は現実にも存在するのか? あのスポ根漫画のようなドラマチックなライバル同士の熾烈な闘いは現実にもあるのか? あの選手はそのときどう思っていたのか? ライバルに対して何を考えていたのか? 

そんなことを知りたくて、実在のアスリートたちに「ライバルはどういう存在だったのか」を尋ねていくのが「ライバルの視線」の主旨でした。

インタビューしたのは、ジョン・マッケンロー(ビヨン・ボルグ)、ナディア・コマネチ(ネリー・キム)、マルチナ・ナブラチロワ(クリス・エバート)、江川卓(掛布雅之)、伊達公子(シュテフィ・グラフ)、トム・ワトソン(ジャック・ニクラス) 、ジョージ・フォアマン(モハメッド・アリ)などなど、世界のスポーツ史を彩ってきた数々のトップアスリートたちです。

伝説の名試合を残してきたアスリートたちには、やはりいつもライバルがいました。

「彼(彼女)がいなかったら、いまの自分があったかわからない」

どのアスリートも口を揃えて言いました。

そんな往年のアスリートたちへのインタビューの中で、私がいまも深く印象に残っている「ライバルの視線」は、エンツォ・マヨルカとジャック・マイヨールです。

知らない人も多いかもしれません。彼らが活躍したのは1960〜1970年代ですし、日本ではほとんど知られていないフリーダイバーというスポーツ選手だったので無理もありません。

エンツォ・マヨルカとジャック・マイヨールは、1988年のリュック・ベッソン監督の映画『グラン・ブルー』で一躍脚光を浴びることになりました。

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私も『グラン・ブルー』を観るまでは、この世にフリーダイビングなんていうスポーツがあることすら知りませんでした。2人は単純にどこまで深く潜れるかを競うスポーツで世界記録に挑戦し、しのぎを削ってきたライバル同士でした。

フランス人の映画監督の作品(伊仏合作)ということもあり、主役はあくまでもフランス人のジャック・マイヨールで、イタリア人のエンツォ・マヨルカは当て馬のような存在でした。ジャック・マイヨールはイケメンで何を考えているかわからない物静かな男。エンツォ・マヨルカはおしゃべりで陽気なマザコン男。

『グラン・ブルー』はとてもステキな映画だったので、当然私は「ライバルの視線」で、主人公だったジャック・マイヨールにインタビューをしてみたいと思いました。そして、ジャック・マイヨールのことをいろいろ調べているうちに、正直「ジャック・マイヨールよりエンツォ・マヨルカのほうがカッコよくね?」(単純にビジュアル的にですが)という思いにたどり着き、エンツォ・マヨルカのほうに興味を抱くことになったのです。

また、映画の大ヒットで、実在のジャック・マイヨールはメディアにもよく登場するようになっていました。一方、エンツォ・マヨルカ本人はこの映画に対して「事実を捻じ曲げている」として訴訟を起こし、イタリアでは公開されなかったという事態を招いてもいました。

しかし、私はネットや雑誌などで本人の顔を見て直感したのです。

「エンツォは絶対にイカす人に違いない!」と。

そんな根拠もない確信をもって、私はさっそくイタリア在住のライターさんに相談をして、エンツォについてさらに詳しく調べてもらうことにしました。すると、やはりというか、どうやら本国イタリアでのエンツォは『グラン・ブルー』でジャン・レノ演じるエンツォとはほど遠い人物像であることが見えてきました。「エンツォは絶対にイカす人に違いない!」という、私の直感に間違いはなさそうな気がしてきて、インタビューを申し込む決意をしました。

とはいえ、やはり不安もありました。エンツォが映画に対して訴訟を起こしたのは10年近くも前でしたが、それでもこの映画やジャック・マイヨールについて話を聞かれるのはイヤがるのではないか、訴訟を起こすくらいの人だから気難しい人かもしれない。おまけに血の気が多そうなシチリア人(偏見です)…と。しかし、インタビューの申し込みを快く受けてくれたことで、主旨はしっかり理解してもらったと信じることができました。

しかし、イタリアです。4ページの連載記事のために現地まで取材に行く予算はありません。そこで私はもともと知る現地のイタリア人のカメラマンだけを手配して、あとはライターさんにアポ取りからインタビューまですべてをお任せすることにしました。

ライターさんにはふだんから現地レポートやエッセイなど連載で書いてもらっていましたし、現地コーディネーターもやられていた方だったので特に不安はありませんでした。むしろ、いつも寄稿を楽しみにしたライターさんでしたし、いつかこのライターさんと一緒に大きな特集をやってみたいと思っていたので、ようやくそのチャンスが来たと期待感は膨らみました。

まだ始まってもいないのに、取材前のメールによる打ち合わせだけでワクワクドキドキしてきて、とても楽しくなってきました。「映画のあのシーンがじつはどうだった」とか、「イタリアではエンツォはいまこんなことをしている」とか、「こんなことを聞いたら怒らせるかな?」などなど、インタビューの準備は料理を作る前の献立を考えるような難しくも楽しい作業です。じつはライターとの打ち合わせで楽しいかどうか、盛り上がるかどうかはとても大切です。この事前の打ち合わせがのちの取材の成否を決めると言っても間違いはありません。

とはいえ、やはり原稿が出来上がるまではドキドキヒヤヒヤでした。現場にいないのに緊張していました。いや、現場にいないからこその緊張というものがあるのです。

そして、ついにハラハラしながら待ちわびた原稿と写真が上がってきました。

「やった!」

想像通り、いや、想像以上にカッコいいエンツォにガッツポーズです。

ジャック・マイヨールに対するライバルとしての敬愛の念、フリーダイビングというスポーツに抱く深い愛情と、修行僧のような探究心、アスリートらしい研ぎ澄まされた肉体と精悍な顔つき、そして、これぞイタリア紳士のダンディズム!と思わせる美しい佇まい。

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と、いきなりこんな20年も前の古い話を持ち出したのは、先日、たまたまそのイタリアに在住していたライターさんとお食事する機会があって、「エンツォ、カッコ良かったねー!」と昔話で盛り上がったからでした。

そして、ふと思ったのです。

はたして、いまの私にライバルはいるのか? かつて私にはライバルと呼べる存在はいたのか? 

残念ながら思い浮かびません…。

ライバルはいなかったかもしれません。

しかし、編集という仕事を通して、一緒に切磋琢磨して、高みを目指すパートナー(ライター)たちに恵まれてきたことだけは、自信を持って言うことができそうです。


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