家族を家族と思わないこと

うちの実家は、うまくいっていない。わたしが育った家庭は典型的な現代の都会派で、親戚づきあいもほぼゼロの完全孤立した核家族だ。そこへ祖母の介護話があがった際、両親が各々「自分の利益」をぶつけ合い、家族は崩壊した。嫁いだ娘、自立した息子、子どもたちはもはやかすがいにはならなかった。

でも、うまくいっている家庭って、むしろないよね…と思う。みんな、何かしら問題を抱えている。30歳目前になって、実家を冷静に見られるようになったり、まわりを見たり、自分自身家庭を築いたりして、やっと気づいてきた。

最近その防衛策なのか予防策なのか、自分の家庭(夫と息子)に対して、かなり冷静に付き合うようになった。家族だけど、やはり彼らは他人であると。防衛策とは、その崩壊の時期が来たときに、自分にダメージが来すぎないように…ということ。予防策とは、もしかすると家族に甘えすぎないことで、崩壊自体を止められないだろうかという希望だ。

前回「「夫が家事を手伝ってくれない」という愚痴に、「ロボット掃除機、乾燥機、食洗機買え」と返す奴はアホ」で、「家族って甘えて無神経に扱ってしまうし、家でくらい無神経でいさせてくれってつい思ってしまうものなんだけど、じつは家族こそ神経を遣わないと壊れるものなんだよね」と書いた。

うちの夫はまったく家事をしない人で、そりゃあもうかつて何回もキレた。産後は死のう…と思って家を飛び出し街を徘徊するまで病んだ。夫が家事をしないくらいで(笑)でも最近、夫が家事をしないことについて何も思わなくなった。(ただたんに躁に入っただけかもしれないのだけど)なんか、いてくれるだけでいいかなって思うようになって。これは、「『夫婦や家族も気遣いが必要な他人同士である』をつきつめた」結果。

この意識変化は、「夫を夫と思わない」ことで起こったものだ。これについては自分の中でも複雑でまだ未消化なんだけど、わかりやすく言うと、最近は夫のことを彼氏みたいな存在だと思っているのだ。シモ的な意味じゃなくて、自分はオンナで、相手はオトコで。それでいいじゃん、みたいな。家族だからとなんでも求めるのをやめ、夫に対し「夫であること」を押し付けないようにした。

彼氏は他人だから、気をつかう。振られないように、愛してもらえるように、がんばる。一方で、実際は家族でもあるから、自分も相手を愛し続けられるように努力する。「わたしが彼を選んで、わたしも彼に選ばれた」と自分に暗示をかけて、負の感情に支配されないようにね。

この状態が、いつまで続くか。また鬱期がくるかもしれない。これはテストだ。居心地のいい環境も、維持するには努力が必要だ。結局、人間完全に安らげる場所なんて、ないのかもしれないね。

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余談。先日我が家に遊びに来た某学者さんが、わたしたち家族を見て「とてもいい距離感だけど、お互いカードを溜めすぎて爆発させないようにね」とのこと。たしかに。注意しておこう(笑)

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