きのうの旅はふっ立ってきたかりきゅらむのようなものだった
多世代・多職種・無職の生活者市民/住民(Inhabitants)と並び進んでゆく並進者(Mutual translatior)として専門家と素人との狭間/Gradation Areaに立って、意味をデザインしてみたい❤️
今、再び「カリキュラム/Curriculumとは何か?」という問いに、応答するとしたら何と書字文化記録にするか、また、口承文化記録にするか試みてみたい。
それも、元研究-実践者としてではなく、多世代・多職種・無職の生活者市民/住民(Inhabitants)と並び進んでゆく並進者(Mutual translatior)として専門家と素人との狭間/Gradation Areaに立って述べてみたい。
なりっち&Mr. Narick
「カリキュラムとは、長-短いずれの場合においても旅のようなものです。
一般に、旅をするときに不可欠なものは、なぜ、何、どのように目的地に向かうのか、目的地を示した地図が必要です。【Map(Plan)】
また、時に道に迷ったり、外れたり、戻ったり実際に旅をした足跡ができます。【Footmark(Do)】
そして、旅を終えて訪れた土地の景色やそこで出会った生き物や人々とのつながり、旅にかかった時間的な推移などを想い出の鏡から反射や反響・反映してきたことも意味しています。【Reflection(Check)】
さらに、新たな未来への旅をデザインすることもあります。【Design(Action /Trial)】
しかし、時としてMap(Plan)を持たずに、デラシネ/déraciné(根なし草)のような旅をする場合ももあります。【Déraciné】
そうしたデラシネの旅は、歩き続けたあとに残った足あとによって前人未踏の新地図Mapができることもあります。【Untrodden】
旅としてのCurriculumは、世代を超えて、また職の有無を超えて、生活者市民/住民(Inhabitants)の《まなくらしごと》(学びと暮らしと仕事)の中にあります。【Lifelong/Life History】」
(2024.6.27 創発的な/ふっ立ってきた意味:なりっち & Mr. Narick)
☞これは、成田(2017)における「生成的定義」と、わたくしのBlog&Noteおよびstand.fmにおける「創発的な意味」との並進(Mutual Reflection/Mutual Documentation等)によって「書字文化/口承文化」記録としてここに認/したためたものです。
・note:本日のここと一昨日前(240628)のnoteをご参照ください。
・stand.fm・今朝の『よみききの世界』(分)をお聴きください。
☞「きのうの旅はふっ立ってきたかりきゅらむのようなものだった」
注
・成田喜一郎(2010)「多様な教育方法および評価方法への支援」『学習指導と学校図書館』「シリーズ学校図書館学3」編集委員会編,SLA全国学校図書館協議会, pp.181-191.(C-A-P-Dの説明の初出)
・成田喜一郎(2017)「カリキュラムデザイン研究の現在―1994.8から 2017.2までの学びと究めを踏まえて―」『東京学芸大学教職大学院年報』第5集,p.1-13.(「CAP,Do!サイクル」図の初出)
・H・コリンズ/R・エヴァンズ 著 奥田太郎 監訳 右田 慈/清水右郷 訳(2020)『専門知を再考する』名古屋大学出版会
*写真は、直接本文と関係はありません。7月上旬に刊行される予定の金田卓也・成田喜一郎共著『越境する対話』のペーパーバック版のサンプルの写真。「再販禁止テープ」が貼られている。
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