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自己紹介は個人的なことから

大人の自己紹介はだいたい会社名で始まる。

「〇〇社の××です。」

でもちっちゃなこだわりとして、自分の自己紹介は名前で始めるようにしている。
内容は場によって変わるが、概ねこんな感じだ。↓

「××といいます。プログラマをやってます。今日はこれこれこういうところの話が聞けるといいなと思って参加しています。仕事では、〇〇っていう名前の会社で主にインタラクティブアートとかデジタルアートとかいう分類をされるものを作っていることが多いです。」

なんというかこの方が自分の感覚と近いのだ。

会社と個人の関係って

こう(会社が個人を包含している)じゃなくて

こう(個人の一部が寄り集まって会社になっている)だと思うのだ。
個人の中にも、会社と共有している部分もあれば、他の部分に生活とか家庭とか趣味とかがあったりするんじゃないだろうか。

「〇〇社の××です」タイプはこんな具合で、会社と自分の共有部分について主に語る自己紹介だと言うことができそうだ。

僕が名前から自己紹介を始めるのはこんな具合で、会社のことに限らず自分について主に語りたいという意識があるように思う。
それと、会社の全てを知っているわけではないので僕にそんなこと聞かないでくださいみたいな意識もあるかもしれない。個人の見解ならいくらでも出せます。っつか会社の見解って何ですか。会社って誰ですか。僕はいまあなたと話をしているんですが、あなたはいま誰と話をしているんですか。落ち着いてください。僕が。

書いていて思ったがこれはただのイデオロギーだったり自己顕示欲だったりするのかもしれない。そんなこと僕以外みんな当然のようにわかってて、でもその方が円滑に話が進むからそうしているのかもしれない。そうだとしたら僕はただのめんどくさい人なのかもしれない。もう壁際で寝返りでも打って床のシミか素数かひつじか何かを数えておく方が良いのかもしれない。

でもなんというかそれって要するに、相手が簡単に取れる範囲に投げるキャッチボール的なやさしいコミュニケーションなんだと思うんだけど、それやりすぎると、もうボール投げるフリだけでよくない?みたいなことになっちゃわないかな。

じゃなくて、どこに来るかわからないボールをちゃんと待ち構えて、走って取りに行ったり、体勢崩しながらなんとかキャッチしたり、後ろに逸らしちゃったら小走りで拾いに行ったり、拾いに行った先できれいなタンポポ見つけたりするのが楽しいんじゃなかったかな。

取れないボールを投げないのは優しさかもしれないけど、投げたら何か面白いことに繋がるかもしれない。

取られても取られなくても良いボールを投げていきたい。

例え話から帰ってこれなくなったのでここで終わることにする。

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