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成城大学成城学園歴史記念館(東京都世田谷区・成城学園前駅)

成城学園前駅という、その名の通り成城学園のためにあるような駅から歩いて数分の場所にある成城学園。今回おとずれる目的の成城大学をはじめとして幼稚園から小学校、中学校、高等学校と全ての教育機関を網羅している一帯である。成城学園の創設者である澤柳政太郎の名前を冠した澤柳記念講堂に向かって左手にあるのが成城学園歴史記念館。2020年になってできた比較的あたらしいミュージアムである。

2階の音楽ホールへつながる螺旋階段の印象的な1階入口すぐのエントランスホールでは「成城町ゾーン」と題して、成城の地についての紹介がされている。かつて喜多見という地名で雑木林だったこの地は成城学園の移転によって切り開かれて誕生し、学園と共に発展した町といえる。それらの歴史を写真パネルなどで紹介している。また右手にあるコミュニティスペースでは映像で成城学園の成り立ちについても紹介している。成城学園そのものを紹介している展示室は、エントランスホールから左手にある展示室。学園史ゾーン、澤柳政太郎記念室、文化史ゾーン(企画展示室)といった部屋によって構成されている。

内装が印象的

成城学園の歴史は1917年にまで遡る。もともと新宿にあった成城小学校の校長として就任した澤柳政太郎が、自身の理想である「本当の教育」すなわち、児童の持って生まれた特別才能を啓発することを目的とした教育を具現化するために作られた。背広、ネクタイ、半ズボンに丸いつば広の黒帽子は当時の光景としては非常に珍しかったとされる。そこからさらに卒業生たちの受け皿として中学校、高等学校や女学校がつくられ正式に成城学園として設立されることとなった。成城大学は7年制だった成城高等学校から分離する形で生まれた学校で、成城学園の中では新しい部類となる。

こちらは澤柳記念講堂

文化史ゾーンおよび企画展示室では成城学園に関わった著名人たちの事績について紹介している。高等女子学校の校歌を作詞し、校長の一人だった小原国芳(のちに玉川学園を創設)とも交流のあった北原白秋や、初等学校の作詞をした西条八十といった詩人をはじめ、子どもを通わせた柳田國男富本憲吉平塚らいてう加藤武雄武者小路実篤など錚々たる面々である。また学園の卒業生には大岡昇平福澤一郎谷内六郎なども学園を支援する保護者としても名前を連ねている。

近くには旧柳田國男の邸宅がある

トイレはウォシュレット式。澤柳記念講堂をはじめ、保護者の寄付によって建てられた建物があるなど非常にハイソサエティな環境であることは区画整理された町を歩いているだけでも感じられる。住宅街を歩いているだけでも自分もそのコミュニティに入ったかのように高揚した気分になれる場所である。


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