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東洋英和女学院村岡花子記念室(東京都港区・麻布十番駅)

麻布十番駅から勾配のきつい鳥居坂を上る。左手にはVIP御用達である国際文化会館(こちらも岩崎家が関係している)、右手にはシンガポール大使館やレコード会社のビーイングがあったりするハイソサエティな地域である。幼稚園から大学院まである東洋英和女学院はこの坂を上る途中にあり、構内の一部で同校出身の翻訳家である村岡花子記念室を設けている。

中高一貫の学校なので外部の人間が訪れるは割とハードルが高い。けれどそれはそれ。村岡花子といえば『赤毛のアン』シリーズや『フランダースの犬』、マーク・トウェイン作品などの翻訳として知られ、それらを愛読してきた身としてはやはり訪れておくべき場所の一つであるわけで、いくら女学院だからといって手をこまねいていてはいけない、と(念のため連絡して)突撃を敢行。

なんて素敵な扉なのでしょう

展示室は構内の一角で決して広いわけではないけれど、かつて大田区の大森にあった村岡花子記念室を移設した施設になっていて資料が豊富にある。また村岡花子だけでなく東洋英和女学院の歴史を辿る史料室としての機能も有している。宣教師のミス・カーメトルによって設立されたキリスト教に基づいた教育をモットーとした女学校。キリスト教の教えや英語圏の生活習慣といったものを英語で教育することで、生徒たちは高度な語学能力を身につけることができたという。村岡花子もその一人であることは間違いなく、この学校で学んだからこそ後の日本を代表する翻訳家となったわけである。

ミス・カーメトル宣教師

高校卒業後は寄宿舎に残って翻訳や通訳をしながら英文学の研究を続け、童話や小説を執筆したことをきっかけに編集者へと転身し、ここで後の夫である村岡儆三と道ならぬ恋に落ちながら、英語児童文学の翻訳を主にすることになる。
二人の間に生まれた道雄を六歳足らずで病気で失い、夫の会社も倒産するなど苦難に遭いながらも懸命に夫と共に二人三脚で進みつづけた村岡花子。地域の子どもたちのために作られた児童図書館が「道雄文庫」という名前なのもまた切ない。

波瀾万丈だった村岡花子の書斎

記念室には実際に実際に使っていた机のほか、学校で使用されていた教科書や創立者のミス・カーメトルが日本へ渡航してきた時に使っていたトランクまで残されている。トイレは使用不可。

トランクでかい


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