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旧安田善次郎邸(神奈川県大磯町・大磯駅)

神奈川県の南部、相模湾を囲むようにある湘南エリアでは秋に「湘南邸園文化祭」というイベントを実施しており、普段は公開していない邸宅や庭園を限定で公開したり、現地の観光協会が主催となって見学ツアーを行ったりしている。その中で財界人が多く別荘を持っていた大磯町で旧安田善次郎邸が公開されることを知り参加することに。

戦前の日本における四大財閥の一つとして知られている安田財閥。三井、三菱、住友と名を並べるこの安田財閥を一代で築き上げたのが安田善次郎である。都内では両国駅の近くにある安田庭園が旧本邸だったことが知られているほか、東京大学の安田講堂の建立にあたり匿名で寄付した事績なども知られている。ちなみに現在の安田講堂という名は善次郎の死後に、匿名だった寄付者の正体が分かったことから改めて名づけられたのだという。

善次郎邸の入り口

幕末の富山藩で下級武士の家に生まれた安田善次郎は、藩の上級武士が商人に礼を尽くして接している姿を目の当たりにし、幼い頃から商売の力を身にしみて実感、商人として身を立てることを志していた。東京に上京して日本橋で玩具、乾物屋や両替商を経て奉公しながら商いの修行をした末に乾物屋と両替商を営む自身の安田商店を開き、やがて安田銀行や損害保険会社、建物業へと発展させることに成功した。

善次郎像 意外とでかい

鉄道会社や鉱山開発にも着手し、同郷の浅野総一郎(浅野財閥の祖)を支援するなど手腕を発揮、その結果として浅野財閥へと発展したことから、現在の横浜市鶴見区の港湾エリア一帯を担った浅野総一郎によって安田善次郎の名前からとった「安善駅」という鶴見線の駅もあったりする。

善次郎の位牌がある離れ

「寿楽庵」と名づけられた大磯の別邸は安田善次郎の思いが詰まったもので、蒐集した美術品も多く保管されていた。近隣の人たちが気軽に訪れることができるような庭園を目指したが、軍国主義の吹き荒ぶ世の中で、この邸宅において心半ばにして右翼の青年に刺殺されあえなくその生涯を閉じることになる。邸内には善次郎が絶命した場所に五輪塔の墓が建てられているほか、重要文化財として指定されている十三塔などがある。

こちらは邸宅内 現在は安田グループの保養所

邸内は茶室や応接間を回るという形態をとっており、茶室の天井が明かり取りになっていたり、大正時代から残されているガラス窓が印象的。善次郎が年代ごとに描いた絵も残されている。現在は安田グループの社員研修や療養施設として使われており綺麗に残されている。トイレはウォシュレット式。

洋間も良い ガラスが当時のままだったりする

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