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つないでいくこと

もう書くのやめたんじゃなかったのか?と自分で自分にツッコミつつ…。

なんでやめようと思ったか。

noteって私はこういう人ですという開示がまずあって、書かれてる内容もその人なりのテーマに沿って書かれてあるじゃないですか。
全部見てるわけじゃもちろん無いからあれなのだけど。
少なくとも自己開示無しでテーマも散漫な人ってあんまりいない気がして。
私のページってほら、そんな感じだから。
なんとなくここに書き続けるのが場違いな気がしてしまった、というのがまずある。

あと、こんなん書いても誰も読まないだろうという気持ちもあって。
別にそれで良かったしそれが気楽やったりもしたのだけど。
自分自身もともと気まぐれなところもあるし。
ただ、前回書いたものに思いがけずスキを押してくれた人たちがいて。
自分にとって無価値に思えるものでも、それを見て何か思ってくれる人もいるんだなぁと。
なんかそれが嬉しかったし、新鮮な驚きだった。

占い好きの友人が教えてくれたのだけど、今年は世界の既存の仕組みや価値が大きく変わる一年になるといろんな占い師が言ってたらしい。
本当にね、コロナでできなくなったことがたくさんあって…。
一方で、色々制約のあるなかでの新たな試みも出てきている。
ただ、それのどれが残って今後発展していくのか、何がスタンダードになるのかはまだはっきりわからないところのある気がする。

私、実はちょっと変わった楽器を習っていて。
アジア圏の全ての擦弦楽器の起源と言われてる古典弦楽器で、絹糸でできた二本の弦の間に馬の尾の毛でできた弓が挟まっているだけという、見た目だけで言ったらとても原始的な楽器。
でも民族音楽やクラシックやその気になればジャズでも、わりと何でも演奏できて。
難しいのだけど、楽しい。

この楽器もね、後からいろんな改良楽器が出てきてはたぶんそのたびに価値が揺らいできた歴史があるんじゃないかと推察する。
こんなものはもう古い、やめよう、みたいな。
でも、みんながみんな新しい楽器に飛びついたわけじゃなく、ずっとこの楽器を愛してきた人たちというのは確実にいるわけで。
だから私はその人たちに感謝している。
いくつもの時代をまたいでこの楽器をここまでつないできてくれたこと、ありがとうと。

結局、従来のものも新しいものも、人々にとって価値がある、残したいと思ったものは残るのかなと思う。
新しいものに触れてみて気づくこれまでのものの良さとかもあったりするもんね。
私はこの楽器をとりあえず生きてるうちはずっと弾きたいなと思っているのだけど、願わくば私の手を離れた後も、楽器は新しい時代をまたいであり続けてくれたら素敵やなと思っている。

…なんかまた色々書いてしまった。
まぁ…いっか。
気が向いたらまた書きます。(書くんかい)
気まぐれだから。笑






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