ロマンチストである前に妄想家

街の空気は濁り、肉眼では星をながめにくくなった。
昔から宇宙に憧れを抱くロマンチストな僕はGoogleで"星空"と検索して、綺麗な画像を見つけた。


色とりどりの砂を撒き散らしたように美しい。
無数の星々が宝石の如く輝いている。
なんという広大さ、清々しさ……。

と感激して終われば普通だろうけど、眺めているうちにこんな妄想が湧いてきた。

あの中には文明を持った住民のいる星も多いに違いない。
そこではイデオロギーの争いもあるだろうし、人種問題の悩みだってあるだろう。
核兵器の恐怖にふるえているかもしれない。
どの星でも住民たちはみな、他人には道徳的であるよう求め、自分は巧妙に立ち回って儲けようと企んでいるに違いない。
美と秩序と愛にみちた星はこの中に一つあるかどうか分からない。
地球より文明が進んでいれば、ゴタゴタはもっと陰にこもり、イヤらしくなっているはず。
文明とはそういうものではないだろうか。
そんな星々が宇宙にはこんなにあるのだ。
そう思うにつれ、この画像がゾッとするものに見えてきた。
うらみ、ねたみ、つらみ、悲劇と苦痛の感情がみなぎっているようだ。
星をあおいで物思いにふけるのを純情で好ましいことと考えている人がいるかもしれないが、類型的で無知と創造力欠如のあらわれというべきであろう。
そんなおめでたい事この上無い。
何が宇宙時代だ。

あの星では事故が連発しているかもしれない。
こっちの星では病気か戦争。
そう考えはじめると夜空を見上げるのがイヤになってくる。
今のところ、スモッグなどいった空気汚染で星がよく見えないおかげで、ノイローゼにまでは進行してないのが唯一の救い。

宇宙は無限大というが、この画像一枚でここまで膨らむ僕の妄想ももはやコスモ(小宇宙)である。

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