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私は影響力のある人間である

こんにちは、ならさんです。

今回のタイトル、なかなか偉そうですね。
私は影響力のある人間だ、なんて、自分から言っちゃったりして。
ガンジーかよキング牧師かよギレン総統かよ、って感じでちょっとイラッこられた方がいたらごめんなさい。
立てよ国民!(イラッ度マシマシ)

でもこれ、僕のことじゃないですから
いえ、僕だけのことじゃないですから。
これを読んでくださっている、みなさん、そして残念なことにこれを読んでくださっていないみなさん、全ての人に言えることですから。

「私は影響力のある人間である」

「ええ、私なんてとてもとても」と謙遜される方にも、「いや知ってるし、影響与えてるし」という、将来のトレンドリーダー候補の方にも、改めて一緒に考えて欲しい、"人が及ぼす影響"の話をしてみたいと思います。

何か質問は?と聞かれてすぐ手をあげる人


こういう人、いますよね。
そう、もしかしたらお気づきかも知れませんが、僕はそのタイプです。

セミナーとか講演とか授業とか聞いてると、基本質問が止まらない。
むしろなんでみんな手を上げないのかわからない。みんな何考えて聞いてるの?100%理解してるの?話したこと以外のはみ出たこと聞いてみたくないの?

ええ分かってます。かなりウザいだろうなあ、って。
んでもって、少し知恵がついてきたので、本筋と関係ない質問は止めようね、って自主的に選択してます。
でもそれでも質問が止まらない。

「えー何か質問…」くらいで、サッと右手が動きます、許されそうな雰囲気の時は。

このとき起こっていること、一言でまとめると、「手をあげたという行為で、集団の中に影響を及ぼした」ということだと思います。 

反応は様々でしょう。
 お、意欲的だな、と思う人もいれば、やっば俺も手あげなきゃ!って思う人も。
でたよ、いるよなああいう目立ちたがり屋、とか感じる人もいるかも知れません。

講演者側に立ったわずかな経験より感想を言わせていただければ、質問してくるという行為は、後援者にとってとても嬉しいものです。
僕の話を聞いて、興味を持ち、自分の考えをぶつけてくる、という、主体的な参加の意思をそこから受け取るからです。

まあもちろん、質問の内容によっては何か違う印象を持つこともあるかも知れませんが、とにかく、手をあげて質問したということが、その講演の演者や参加者に何かしらの考えやリアクションを起こさせる、という影響を与えています。

何か質問は?と言われて急に目線が泳ぐ人

じゃあ、なかなか質問が出てこないはどうなるか。

なにか質問は、と問いかけられた時に、急に場がそわそわして、それまで熱心に講師を見つめていたはずの目線が、急に宙をさまようようになること、これもよくあるケースかもしれません。

寂しくなった講演者はどうするでしょう。
いたたまれなくなって、誰かを指名するかもですね。
「えー、あ、じゃ、そこの、黒のスーツのメガネの方」みたいな感じで。

指名された黒のスーツのメガネの人、手をあげないくらいだから、もしかすると、あんまり乗り気じゃない感じで、「え、じゃあんーと、その…」なんて言いながら、何か質問するかも知れませんね。

想像してみてください。

その講演会場、どんな雰囲気になっていますか?
あったまっていますでしょうか。
僕だったら辛いですね。なんかそのノりきれない空気がモヤモヤして、何度でも何度でも質問したくなります。
「あ、この方はもういいので、他の誰か…」って、講演者に言われるくらいに。

この、僕にとってモヤモヤする雰囲気。
それは、この煮え切らない質問をした黒スーツのメガネの人が作った雰囲気です。
その人は、え、あ、うーんと、とやることで、そういう雰囲気を作る、という影響を場に及ぼしました。

けれど、お気づきでしょうか。
この、モヤモヤした雰囲気を作り出したのが、メガネの質問者だけではないこと。

講演者は、誰も積極的に質問をしてこないから、その人を指名したのです。指名する相手は、その人でなくても良かった。
その場に参加した質問をしない全員が、指名の対象であった。
そして、誰が指名されても、モヤモヤする雰囲気を作る質問をする可能性が高かった。

つまり、その場にいる人たちは、質問をしない、自らの意思を見せない、誰かの背後に隠れていることで、モヤモヤする雰囲気を作り出すことに影響を及ぼしているのです。それも、強く。

影響は、あらゆる場面で及んでいる

これは講演会の例でした。
けれども、全く同じことが、会社の会議でも起こっていると思いませんか。
あるいは、家族間の会話でも言えると思いませんか。

所属する会社の事業の行き先を決める重要な会議で、黙っていること、自分の意見を言わないことは、隠れてうまくやり過ごしているようでいて、実はその会議が前に進んでいくことを抑止する力として、影響を及ぼしている。

家族の会話で意見を言わないことは、私はこの家族の相互理解に関心がない、自分を関わらせる気がない、と相手に伝える、という影響を与えている。

あなたは、そして私は、人と人の間で関わる以上、どんな形であれ、誰かから見られ、評価され、誰かとの距離や関わりを測られる、という意味で、常にその場に影響を及ぼしています。

そんな、相互に影響を及ぼし合う、あるいは影響を及ぼさざるを得ない、与えざるを得ない人間関係の中で、私たちはどう立ち振る舞い、何を伝えているのでしょう。

自分らしく生きること

自分らしく生きたい。

とてもわかります。というか、私もそう思います。すっごく。

だからこそ問います。

あなたの言う”自分らしい”って、一体どんな自分のことですか?

すぐに答えられますか? 言葉に詰まりますか?
僕は言葉に詰まります。それでもいいと思います。
そこが、自分らしさを考えるきっかけになるのであれば、大いに言葉に詰まって、考えましょう(自己肯定)。

今問いたいのは、その先。
あなたが言った”自分らしさ”は、周りの人に、どれくらい伝わっているのか、です。

”自分らしさ”ってこう言うこと、とはっきり言える人は、周りの人に聞いてみてもらいたいです。
いえ、自分らしさって何だろう?と思う人も、ぜひ聞いてもらいたいです。私ってどう見える? 何が強み、何が弱み、何をしたい、って言う風に見える? って。

問いに答えてくださる相手がいれば、まずそのこと自体がとても素晴らしいことです。
そんな人間関係を持っていらっしゃるのは、あなたが素敵な影響を相手に及ぼしている何よりの証拠です。

そして、その相手から返ってきた答え、それが、あなたがその相手に及ぼしている影響の芯であり、あなたがその人に向けて見せている姿です。

どうでしょう? あなたが持っているセルフイメージと、その人の伝えてきたあなたのイメージ、きちんと重なっていますか? あなたが納得できるものでしょうか?

心が認められたがっているんだ。

僕の場合を話してみます。

最初に挙げたように、僕は人前で率先して意見を述べるように心がけています。
それは、「初めに意見を述べることで、グループ全体を前進させるきっかけをつくる人でありたい」と思っているからです。

けれど、ある人からもらった僕の印象に関するフィードバックに驚きました。
その人は、率先して意見を述べる僕をみて、こう思ったそうです。
「この人は、率先して意見を述べることが正しい、と思って、頑張って率先して意見を述べる、という姿を見せている。そのことで自分の正しさを証明して、こちらに承認して欲しいと思っているんだな、と感じた」

衝撃的でした。
僕の在り方を非難されたとか、否定されたとかではなく、まさに僕はそう思っていた、ということに気付かされたからです。
グループ全体を前進させるきっかけを作る人でありたい、という思いには変わりがありません。
けれどそれが、見る人には「無理をしている」「そう見せることで正しさを認めてほしがっている」という、僕が表層意識では意図しておらず、一方実は潜在意識で思っていたであろうこととして伝わっていたのです。

このことで、僕はセルフイメージの表象とそれが与える影響力のずれを認識することができ、また潜在的な自分の思いも知ることができました。
それはきっと、僕が「こうありたい」を表現して、それが相手に影響を及ぼしたことの、一つの結果だと思っています。

イメージ・ギャップ

少し戻ります。

自分らしく生きたい、と思う人がいたとして、その人のセルフイメージ、私はこう生きたい、と、ほかの誰かがその人に思うイメージがずれていたらどうでしょう。

極端な例で話すと、「誠実で優しく、人に貢献したい」と思っている人が、「自分勝手でわがまま」という姿で他の人に影響力を及ぼしているとき、その人が「自分らしく生きたいんだ」と言ったとして、他の人はどう感じるでしょうか。
その姿を応援してくれそうでしょうか。

あるいは、会社の会議でムッツリ腕を組んで座っているだけの人がいるとします。
でもその人は、夜は繁華街で未成年に声をかけて家に帰らせる活動を無償でしていて、それを生涯の活動にしたいと考える人。
けれど、会社の会議でだけ顔を合わせる他部署の人からしてみれば、その人の「自分らしく生きていきたい」は、「無償の夜回りさん」として伝わるでしょうか。
その人の見せる、「いつでも腕を組んでむっつり黙っている」が、自分らしい生き方なのかな??と思ってしまうかもしれません。
そう捉えられた時、その人の「自分らしく生きたい」は、どれだけ周りから応援されるでしょうか。

自分らしく生きていくのであれば、その「自分らしさ」を、さまざまな状況で発揮することが求められるのです。

自分らしく、を生きるために

自分らしく生きたい、というのであれば、その自分らしさを外の世界に向けて表現し続けることがどうしても必要になる。

それは厳しいことかもしれません。
けれど、繰り返し繰り返し、自分がくじけそうな時でも、自分はどうありたいのか、どういう自分で生きたいのかに立ち返って、その自分で世界に立つことで、周りの人はだんだんその人の姿を見るようになります。

そして、自らがありたい姿が伝わるようになり始めたと感じれば、きっと自分を伝えることの大切さ、その在り方の充実感に気付いていく、そう思いますし、そう願っています。

あなたが本当にありたい姿を見せ、その姿が十分に伝われば、周りでそのことを応援してくれる人が増えていくでしょう。
そして、応援してくれる人が増えることは、そのまま、その生き方への肯定感と、続けていこうというエネルギーに繋がっていく。
僕は、希望を込めて、そう思います。

私もあなたも、影響力のある人間です。

お互いがお互いを高め合う影響力を及ぼしながら、生きていきましょう。

立てよ国民!(イラッ)

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