統計データにのってこない隠された障害
楽しく、カジュアルに、弱視難聴の日々を発信しております奈良里紗です。
障害をどう定義するか、これは人類にとっての難題の1つと私は考えています。
国境と同じで、誰かが基準を作って、線をひいらもの。
あっち側は障害で、こっち側にいると障害じゃない。
この定義に苦しめられる人もいれば、救われる人もいる。
人の世界で、人がつくっているものだから、完璧はない。
そんな中、アメリカで行われた調査は納得。
アメリカでは、毎年、障害のある0歳~21歳までを
把握する仕組みがある。
だけど、障害が重複している場合、例えば、私みたいに目にも耳にも障害があると、どっちかを登録する仕組みになっているんだとか。
だから、アメリカでも視覚障害のあるこどもの正確な人数が把握されていない。
実は日本はもっと把握されていないんだけどそれはおいておいて。
そこで、レイチェル博士らの研究チームが全国調査を行い、実態把握を行った。
その結果、国の統計より4倍も多い視覚障害児の存在が浮き彫りに。
当たり前だよねと視覚障害が専門の私からすると納得のデータ。
そこから、我々が学び、考えねばならんことは、ただ1つ。
教育現場には、たくさんの隠れた視覚障害のあるこどもがいるということ。
もしかしたら、あの子は頭が悪いのではなく、単に視力が低いだけなのかもしれない。かつての私がそうであったように。
ということで、ぜひ、日常の中でかかわるすべてのこどもたちの目がきちんと見えているかどうか、周囲の大人は関心をもってほしいと思う。
理解できていない原因は、皆さんと同じ視覚的な情報が入っていないからというだけの可能性も。
人間は8割以上の情報を視覚に依存しているといわれている。だからこそ、ちょっとでもみえにくさがあると、学習や日常生活への影響は大きい。大きいのだけど、ちょっとやそっと視力が低いぐらいだと、本人も周囲も気づかないのがやっかいなところ。
「うちの子は困っていません」
といいきる保護者の多いこと、多いこと、でm、それは責められることではなくてしょうがないことなんです。
だからこそ、眼の専門家がきちんと介入して、本人の見え方を把握して少しでもやりやすい環境を提案することが大切なんだと私は思っています。
視覚障害は障害の中でのマイノリティといわれていますが、果てして、本当に?そんな疑問に一石を投じる論文は下記より。
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