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私なりの頭痛との付き合い方

小学校高学年ぐらいから頭痛がはじまった私。

母親も頭痛もちということでとりあえず痛いときはバファリンをのむという対処をしていた。しばらくして、バファリンでほっしんなどがでてしばらく鎮痛剤からとおざかっていた。

大学生になり、再び鎮痛剤と出会う。それはボルタレン。一気に28日分処方してもらい、これさえあればスーパーマンになったような心地でいた。笑

薬があれば、頭痛なんて怖くない。薬をのめば、なおるんだから!それに、色々な人に話を聞くと、どうやら多くの人が頭痛と付き合っているという。だから、こんなもんなんだと思っていた。

いつのころだっただろうか、鎮痛剤をのんでも全くきかない頭痛におそわれるようになった。動くだけで頭の中を誰かにたたかれているような、ずきーんずきーんとした痛み。血液が流れるたびに痛みを感じる。これじゃあ、動けない。何もできない。スーパーマンはどこへいった?と。

そのころ、友人が脳腫瘍で亡くなった。友人のご両親には、

「おおげさと思うかもしれないけど、体に不調があるときはすぐに病院にいってね」

といわれ、すぐに頭痛専門外来へいった。MRIなど必要な検査をした結果、特に病的な異変は見つからなかった。そのかわり、片頭痛にきくという特殊な薬を処方された。しばらくは様子をみていたのだが、結局、薬の効果はなかった。だから、自然と病院へいかなくなった。

そして、いまさらながら頭痛の原因が体の悲鳴であるということに気づいた。鎮痛剤はその悲鳴を黙らせ、より体に負荷をかけ続ける行為なのではないかと思うようになった。だから、私は安易に薬に頼るのをやめた。体の異変を感じ、自分の体と対話するようになった。どうしても外せない重要度の高い仕事で、どうしても薬が必要なとき以外はのまなくなった。すると、自然と風邪をひいても薬を飲まなくなった。薬を飲まないで体を癒す方法が徐々にわかってきた。

たった1つしかない私の体。この体と心の健康を管理できるのは自分だけ。薬でだましだまし、とにかくがんばることもできる。だけど、私はそれをやめようと思った。人生は短距離走じゃない。長距離をできるだけ穏やかに頭の痛みを感じることなく過ごせるように、今も模索は続く。

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