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戦慄の修二会(しゅにえ)

奈良にある東大寺。二月堂で毎年勤められる「修二会」(しゅにえ)という行事がある。

旧暦の二月に勤められる法要で、正式には「十一面悔過」(じゅういちめんけか)という。十一面観音さまに悔過(懺悔)することからそういう名前がついている。現在は東大寺二月堂で勤められる修二会が超有名なので、「修二会」といえば東大寺のことと反射的に思われるくらいになっている。

しかし修二会を勤めているお寺は多い。東大寺からそんなに遠くない新薬師寺でも行われているし、奈良の南部にある長谷寺でも勤められる。お寺によって「誰に対して悔過(懺悔)」するのかとい違いがあるので、二月堂なら十一面観音さまだし、新薬師寺だったら薬師如来さまである。そのような違いはあるけれど、そこで行われるのは「国家安泰、五穀豊穣を祈る」という宗教行為である。

国家の安泰を祈る。初めてこれを聞いた時、特におもいあたることもなくフーンと聞いていた。この日本という国が無事でありますようにという法要を営んでくれるのである。ありがたいことである。国が無事でないと、国民は生活できないしね? 特に東大寺の修二会は1200年前から始まって、現在進行形なのである。創始したのは実忠和尚(じっちゅうかしょう)彼がこの祈りを始めてから一度も、そう一度も途切れることなく祈られ続けているのである。こんな息の長い法要は稀有だ。ほかにふたつとない。

ところで観音さまって須弥山という山に住んでいる。その須弥山はよっつの島の中心にそびえ、周囲は海に囲まれている。私たちの住む場所は、そのよっつの島のうちのひとつである。地面の下には金輪という、とほうもなく大きなわっかがある。地面の下の、さらに一番下にあるのがその金輪だから「決して」「二度と」の意味に使われる「金輪際」はまさに地の果てである。

でもこれで終わりではない。金輪の下には水輪がありその下には風輪がある。これらすべてを含んだ世界を「小世界」という。小世界が千集まって「中千世界」といい、さらに中千世界が千集まって「大千世界」という。みっつの千世界があるのであわせて「三千大千世界」
 これが私たちの住む世界(仏も含めて)とされている。

一体の仏が教化(教え諭す)ことができるのが、大千世界だということで、具体的にイメージするならば、宇宙の銀河系とイコールと考えていい。つまりひとつの銀河にひとりの仏が担当しているといっていい。私たちを救ってくれる仏さまは、地球を超え太陽系を超え、銀河系におひとりいらっしゃるという塩梅だ。
 なんかえらい遠いやん。そんなに遠かったらどれだけ仏に祈っても、届かないのでないの?という気がしないでもない。

実忠和尚(じっちゅうかしょう)が修二会を始めるきっかけとなったとき、彼は笠置山というところで修行していた。ここは今でも山深く巨石がせり出していてすごいところなのだけど、洞窟があったという。その洞窟の中で彼は修行に励んでいた。そしてあまりに奥深くに進んでしまったのだろうか。彼は観音たちがいるところへ迷い込んでしまった。
 観音が住むところ。そう、それは須弥山である。

観音たちが営んでいた法要を目の当たりにした実忠和尚は感動し、それを持ち帰って勤めたいと考えた。行法を伝授してくれと懇願するも、観音たちは無理だと言った。あなたがいるこの観音の世界の1年は、人間世界の400年に相当する。人間の寿命的にも無理じゃね?

このあと実忠和尚はそれでもやります走ってでもやりますと言い貫いて、その行法の伝授を受けて修二会を始めるのである。

もしも実忠さんが体験したすべてが実話だったなら。仏を銀河系のあるじと考えて、地球の時間軸を超えた宇宙のどこかで実際に展開している超絶生命体とするならば。そこから伝わる法要が耳障りのいい「国を護る」というお題目でなく、真に力を発揮する呪術的要素を含んでいるなら。

二月堂でお松明という炎が上がったのを見たとき、1200年以上続いてきた意味を真に理解して戦慄するのである。


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