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読むことと書くこと

日本は言霊の国、というのはよく聞く話です。
声に出す言葉には力があるので、不吉なことは遠ざけられるし、縁起のいい言葉が喜ばれます。

今では忌み言葉など忘れられたようでいて、でもまだそのタブーが人々の意識に残っている気がします。

名前もとても大事で、名は体を表すと言いますが、まさに名前にその人そのものが宿ると言っていいでしょう。自分の名前が書かれた紙が落ちていたら拾うでしょうし、踏んだりするのは勇気がいります。ただの紙であってでもです。同姓同名の人に出会うと、他にはない感情が芽生えるのもそのためです。全くの他人なのに、どこか繋がりがある気がしてしまいます。

かつて、古代人たちは言葉をとても大事にしてました。

そして声に出すということを尊んでいました。

今のように印刷技術もないし、書くといってもそもそも紙は貴重品だし、必然的に「声に出す」表現の方が手っ取り早かったという現実はあっただろうと思います。

それでも、それ以上に「声に出すこと」が重視されていて、信用されていたとようです。

紙に書いたものは破ったり燃えたりしたら失われるけれど、人が声に出して伝えたものは、人づてに伝わり寿命が長い。昔から伝わる神話とか伝説を思うと、それはあながち空想ではない気がします。

『古事記』も稗田阿礼が覚えていたもの・・ということですしね。

江戸時代に入って生活が安定して豊かになって、出版文化が花開き始めます。それでも本は貴重品で、一冊の本を自分のものにするのは相当なお金持ちだったでしょう。たいていはそれを写したり、みんなと読んだりしてシェアしていたわけです。

日本じゃないですけど、『美女と野獣』のベルは野獣の住まいにマイ図書館があったことにすごく感激して心を開き始めるんですよね・・

声に出すという文化は明治の初めまであったそうで、たとえば新聞なんかも声に出して読んでいたそうです。新横浜駅が開通して、構内で新聞が販売され、車内で音読する姿が見かけられたというから、ちょっと今では考えられません。

その音読から、討論へ発展することもあったようで、現在より数倍にぎやかな当時の様子が想像できます。今は赤ちゃんの泣き声にもクレームが来るなどありますけど、昔はうるさくても「そういうもの」だったんでしょうね。

声に出す、読むという行為は「ノル」という言葉でも言い表されました。ノルとは「宣言する」「言う」という意味の言葉です。神様に奏上する言葉を「祝詞」といいますが、これもここから来ています。「呪い」もそうです。

言葉の呪力、声に出すことの力の大きさは、私たちにとって身近なものだったし、それは今も周辺に残っています。そのことについて、イベントで少し深めに語ってみようかと思います。

2020年 1月25日(土)13時30~17時ころまで
奈良のトリセツ 参加者募集中

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