『私は自分自身を客観的に見ることができるんです』
私のことを客観的に見ると「奈良コウ」という人物はとてもめんどくさい人間である。
寝起きの10分は話しかけられると不愉快で、自分の意見あるくせに相手に合わせる。得意な話も尖り過ぎてついていけない。例え話も共通項が少なすぎて面白くない。後悔したことに関して数年残っていてハッキリ言えば女々しい。
悪いことばかり書いてるのは良いところがないからではなく、良いところだけアピールしてたらガッカリの度合いが強くなるためマイナス面多めに書いてます。
良いところ探すとすれば愚痴を吐いても反論せずに受け止めてくれるところで、それを弱みとしてつけこまないことです。それだけです。
モテないことは自覚してますし、「俺様すごいだろ」自慢なんて歳を重ねるとむなしいものがある。今年34歳になる私がこのように書けてる時点でまだギリギリアウトでそれが40代以降こんなアピールしてるともう悲惨なものです。飲みの席で言ってるならまだね、酔って吐きたかったから吐いたんだなと聞こえぬフリしますが、シラフで言ってるならもう手遅れです。
自己評価に対してここまでマイナスなこと書いてるのは、昨日今日できたものではなく幼少期から地味に育ててたらネガティブな遺産として生み出されました。
私が変わらないといけない思うことはかなりありますが、急に変わっても私自身ついてこれなくなる。だからといってポジティブなれないのは人のせいにはしたくないが、後悔することが増えるたびにネガティブ思考が色濃く出るわけで飲み会やら食事会を不快にさせるある種の疫病になる。
私のことを褒めてほしいとか認めてほしいという感覚がなくて「真面目に生きる人のためへ」の自己犠牲になることは苦でもないわけですが、このような変わったことを抱え込み過ぎると「あの人が病気になったのは私のせいだ」と誇大な被害妄想をこじらす。わかりやすく言うと地下アイドルを過剰に応援する人のめんどくさいタイプの人で、金銭より精神的な支えになるなら多少命削ることに抵抗ない痛いファンレベルである。
このこと親族も親も知らないことに焦ったほうがいいと私を客観的に見て思った。
私の中で1番の後悔思うと人の悩みに真摯に向き合わず、アドバイス出せないままその人がこの世にいなくなってしまったことだけど、相手からしたら私はただのモブキャラの1人なのに、なぜ私はここまで抱えちゃうんだろう。
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