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何者でもなくたって

今年の3月末から、世間が変化していく陰で転職活動をしていました。

1か月ほど前に区切りはついており、まずはこの件について書きたいなと思うもののなかなか書き出せず。

というのも、実際に動いたのは3か月程度ですが、転職に関しては新卒の就職活動が終わった時点からずっと頭にあったので、一連の流れを書くには3年前から遡っていかねばならぬのです。

どこを切り取るべきか非常に悩みますが、いざ。

長くなるので先に結論を言うと、研究も理系職も辞め、事務系の総合職に移ります。


数年前、大学生の就職活動を題材にした映画が上映されていた。

「何者」というタイトル通り、登場人物がそれぞれの就職活動を通して、自分が「何者か」を模索していくお話らしい。

"らしい"と書いたように、私はこの映画を見ていない。見ることができなかった。

映画の上映が始まる頃、ちょうど自分の就職活動も始まった。

就職活動に向けた準備は入念にしていたつもりだった。

企業の本採用が始まる半年以上前から、自己分析、エントリーシートを書く練習、面接の練習を重ねた。

しかし一向に自分のやりたいことは見えず、何者になりたいのかなどさっぱりわからなかった。

本採用が始まる頃には、自分の本心が置いてけぼりのまま、ただエントリーシートをうまく書くスキルや、面接で卒なく会話するスキルばかりが身についていた。

もはや本心か本心でないのかもわからなくなった、「メーカーで研究職をしたい」という軸が自分の中に居心地悪げにそびえ立っていた。

なぜ仮にもこの軸ができたかというと、「安心感」が大きかったと思う。

食品系の専攻にいたので、先輩も周りの友人も、食品などのメーカーで理系職に就く人が多く、どんな様子か想像がつきやすい。

研究職となると、学生時代やっていたことの延長線上にあるので、やはり想像がつき安心感がある。

研究で結果を出し、特許、学会発表、論文など、自分の名前がついた成果物を生み出していければ満足だと思った。

深い動機がなくても、体裁さえ綺麗に整えれば書類や一次面接は受かりやすい。問題は二次面接である。

どうしてそれがやりたいのか、具体的に何を生み出したいか…働くうえで肝心な質問に対する答えを持っていなかった。

当然、落ちる。

ここで、落ちることに対して深く考えればよかったと思う。

どうして踏み込んだ質問に答えられないのか、本当に自分がやりたいことは他にあるのではないか?
勇気を出して立ち止まって、別の道を探すこともできたと思う。

しかし、私はそれができなかった。

うまく答えられなかった質問に対しては、心でなく理屈で答えを考え、次同じことを聞かれたらこう話そう、と対策していた。

もはや私にとって面接は落ちた受かったの自分試しゲームと化していた。
友人たちと就活状況を共有しているアプリに結果を入力し、それでおしまい。

就職活動が長引くのは嫌だった。

皆が就活を終わらせて研究室に戻るであろう時期に、自分も戻っていなければ恥ずかしいのだ。

この調子で就職活動を突き進めた結果、想定していた時期に一応は内定先が決まった。

ただ、全く満足しているとは言えない結果になった。

面接を受けている最中は確かにこの会社に行きたいと思っていた。内定が出た時も嬉しかった。でも、内定の数日後から精神的に苦しくなった。

ここから書く内容は不快に感じるかもしれないし、内定先にも非常に失礼な考えだった。今思い返すと未熟で視野の狭い価値観だったと思うので、反省を込めて当時の正直な心境を書き留めておきたい。

内定先は、業界でもそこまで上の方ではなく、いわゆる中小企業の部類であった。化粧品業界に詳しくなければ、名前を知らない人が多いと思う。私も就活をするまでは知らなかった。

精神的に苦しくなる発端として、まず、「自分の大学で、この規模の中小企業に入る人あまり居ないだろう」と思った。
(※規模に関わらず、成長の著しいベンチャー企業や存在感の大きい原料メーカーはたくさんあります。しかし自分の場合、化粧品業界という成熟しきった大きな市場だったので、規模感や知名度が余計気になりました。)

周りを見れば、それぞれの業界で1位2位の大手企業に就職が決まる人ばかり。内定先を聞くと、誰もが「良いところに決まって良かったね」と声をかける。

私はそんな風に声をかけてもらえたことが無かったので、この「良いところ」という言葉を聞くたびに心に刃が刺さったような気分になった。

ちなみに、私が研究室の先生に内定先を報告した時は、「大事なのは、どこに居るかでなく、そこで何をしたかですよ」という言葉を貰った。真理である。半沢直樹も言っていた。しかし当時は、慰められてしまった…と余計落ち込んだ。多分私がよほど納得していない表情をしていたのだと思う。

後輩が目指すような企業に決まった同期は、早くも後輩から就職活動の相談を受けていてそれが羨ましかった。

当時は本当に、今まで両親が私にかけてくれた学費を全て無駄にした気分になっていた。学歴は全て良い企業に入るためのものだという認識に陥っていた。

大学院までは、大学や学部は自分で選んだとはいえ、両親に敷いてもらったレールの上を歩んできたと思う。就職活動が、本当の意味で自分自身の判断で初めてレールを敷いた経験であり、両親の手助けがなければ自分はこんなにも上手くできないのかと落ち込んだ。

これだけ納得していないのなら、就職活動をやめずに続ければいいと思うが、もう気力も尽きていた。6月も後半になれば就職活動をしている同期もほとんど居ないし、その中で自分だけが取り残されるのは嫌だった。

あと、7月に研究室の旅行があり、全て終わらせた状態で参加したいとか、傍から見ると小さいが当時の自分にとっては割と大きな理由があったのだった。

私の人生初めての就職活動はこんな感じで、大きなコンプレックスとなった。翌年、後輩たちが続々と大手企業に内定を決めていく様子を聞くのも怖くて、興味のないふりをしていた。

会社に入ってからも、このコンプレックスは消えるどころか大きくなっていった。

会社は良い人が多くて恵まれていたのだが、その中でも悪気なく嫌なことを言う人が居るもので、言われる度に傷ついたことが

「何でその大学出たのにこんな会社入ったの?」という言葉だった。

一体どういう神経をしているのだろうか。若い人が心の中で思っているならまだわかるが、入社して20年も経つおじさんが新入社員にかける言葉がこれとは情けなさすぎる。

今となっては私に対してなら何度言ってもらっても構わないが、今後新しく入社する子にもこの言葉をかけるのだろうかと考えると本当にやるせない。

こういった気持ちでスタートしたので、入社当初の私の動機は、平たく言えば「もっと"良い会社"に行きたい」だった。

こういった動機は珍しいものではないと思う。"良い会社"を安定した大手企業と捉えるなら、給与、福利厚生、世間へ与える影響、関わる仕事の大きさ、与えられる予算などにおいてアドバンテージがあり、こういったものが欲しい人であれば真っ当な転職の動機になる。

でも、働いたこともなく、自分が仕事において重視するものも見えていない私にとっては全く地に足のついていない動機だった。

当時の自分でもそれはわかっていたので、この会社を出たいなあと思いつつも、実際に行動に移すだけの熱量も根拠も足りず、とりあえずは粛々と働いていた。

何よりも、就活当時から希望していた研究の部署に異動すれば何かが変わるかもしれないと望みを抱いていた。(最初は製品開発の部署でした。)

そして入社2年目の10月、晴れて希望の研究に異動となった。当時は、世界でいちばん大きな皮膚科学の学会に出ることが目標だった。

しかし始まってみると、まあ実験がうまく行かない。でも締切は迫ってくる。休日でも朝起きた瞬間から細胞のことを考えた。うまく育っているか。次の実験でうまく行くか。これで結果が出なかったらいくつの部署に迷惑をかけるか。

この時も相変わらず転職のことを考えていた。この頃になると、会社の規模=見栄え、という考えは無くなっており、中小企業だとかそんなことは特に気にしていなかった。当時の根底にあったものは、何もうまくいかない辛さである。そこから抜け出したい。

研究をしたいのか、したくないのか、自分でもよくわからない。もっと大手の会社で研究できれば何かかわるのか。それとも、未経験歓迎!Webマーケティング!みたいなキャッチーな場所に身を移すのか。自分でもわからず、転職活動を実行することはなかった。

そんなこんなで何とか数か月過ごしていると状況も良くなり、実験がうまく行きだした。目的の成分を見つけた。その成分を入れた製品が発売されるはずだった。自分の成果が早々に製品になるとはラッキーだなと思った。

でも、企画部門の一存で企画がポシャった。青天の霹靂であった。
半年かけてずっとそのための実験をしていた。私だけでなく、他部門も動いていた。

課長も怒ってくれて、「製品にはならなかったけれど、特許を出せれば成果は残るから」と慰めてくれた。

慰めの言葉は的確なものであったが、私の中には強烈な違和感が残った。やがてその違和感がもやもやとどす黒く広がり、本来の自分では居られなくなった。

特許とか学会とか、そういった栄誉はどうでも良いと思った。目標だった世界一の学会もどうでも良くなった。

違和感の正体は、「自身の仕事の行きつく先」である。私がした仕事が、自分自身を肥やすことには大して興味がない。それより、私がした仕事が誰かの役に立ったとか、誰かと一緒にした仕事が形になったとか、そういった繋がりが欲しいと感じた。

この考えに辿り着いた時、ずっと頭の中にあった転職活動を初めて行動に移した。

行動に移してからも、一筋縄ではいかなかった。面接がうまく行かなかったように思え、自分の考えは間違っているのかと落ち込んだ。本当にこれで合っているのかと、"人生の目的"を考えすぎて苦しくなった。

でも、新卒の時の就活よりは納得して進むことができた。フィクションでなく、自分の経験を通して打ち立てた軸があった。その軸に基づき、一次面接でも最終面接でも同じ動機を話した。

面接の上手さやテクニックではなく、自分の考えが受験先に合っていれば受かり、合わなければ落ちる、それだけだと思った。

その結果、希望していた先に採用してもらうことができた。
就職活動に対しても、コンプレックスを感じることは無くなった。(ただ、納得して進んだからこそ、就職活動はもう一生したくないと思う…)

納得はしているし次が楽しみだけれど、不安はある。

高校生で理系を選択して以来私のバックグラウンドは完全に生化学の世界で、それは自分にとって想像以上に重要なことかもしれない。離れて初めて見えるものもあるだろう。

そういった葛藤も含めて下したこの決断が、うまく自分の人生に沿うよう、考えて歩んでいきたいと思う。

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