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忘れていたこと

夏休みに入ってから、読書をまた始めた。
ずっとずっと本を読みたいと思っていたものの始められなくて、日本に帰った際に本屋さんに寄って読みたかった本を探した。
久しく本に触れていなかったからか、何を読めばいいのかだいぶ迷って二冊手に取った。
一つは、「そして、バトンは渡された」。これは映画化もされた本で、映画の予告を見て知った本だった。
もう一つは、「その本は、」。テレビ番組で紹介されていてそれを覚えていて購入してみた。

幼い頃から、感情を揺さぶられる系のものが大好きだった。

だからか、今回手に取った二作も物語、小説だった。

小さい頃、子供部屋にたくさん並ぶ絵本を何回も繰り返し読んだ記憶が蘇ってくる。
おばあちゃんと毎日行っていた地元の図書館も、公民館での読み聞かせも。
紙芝居なんかもあったな、と思い出す。今もやっているのだろうか。
小学生に上がると、図書室へ行って上限の五冊をきっちり借りて家に持って帰ってずーっと読んでいた。本の続きが気になって寝る前も暗い中、本を読んで両親に怒られたこともあった。
何年生か忘れたけど、「ハッピーバースデー」という本を何回も繰り返し読んで号泣したことがあった。本を読んで泣いているところを両親に見られたくなくてカーテンと窓の隙間に座って顔を見られない様にしていたこともあった。絶対に泣いた後の腫れた目と赤い鼻でバレていたと思うけど。

小学3年生になると、暗いところでの本の読み過ぎでどんどん目が悪くなった。
目が悪くなったことをいじられると必ず、ゲームばっかやっても目が悪くならない弟にケチをつけた。

セイジだってゲームたくさんしてるのに、!!」(今でも思う)

でも気づけば、いつからか本を読むことがなくなった。
なんでやめちゃったんだっけ?と考えた時に浮かんだ理由は、「勉強
国語や英語で物語を読むことが多くなったからだと思う。
小学校から高校まで国語や英語で読む文章をあまり苦に思ったことがない。
もちろんその後の問題を解くために読んでいたけれど、文章の内容が気になって自分では物語を読んでいる気分だった。
だから、高校受験の時周りが英語の文章に苦戦する中、英語ばっかり解いていたのを覚えている。
そして、それを父に「英語を読むのが楽しい」といった記憶も。

物語を読み進めている様で、勉強という感覚が全くなかった。

だけど、いつからか、勉強が嫌になって文章を読むということを避けてしまっていた。
だからかわからないけれど、その代わりに映画やアニメが好きになったのかもしれない。

大学3年生になって、本を読むことをまた始めた。
あの頃の上限5冊が今は無くなって、たくさんの本を選ぶことができる様になった。
あの頃できなかったことが今はできる。
だけど、そのことを忘れて今できることを自動的にしなくなった。
それに気づいた時、ちょっと寂しいなって思った。
大人になるってこういうことなんだろうな〜って、
だから今大学3年生になって気づけてよかったと思う。

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