金欠、捨て子…困ったら焼鳥屋に走れ!?
庶民の手軽なお酒の友であり、日本が誇るファストフードの焼き鳥。串に刺してあるのを頬張るあの感触、唇の端についたタレを手の甲でぬぐいながら飲むビールの爽快感、これぞ焼き鳥の醍醐味でしょう。
タレ派と塩派の永遠に終わらない論争あり、部位の多彩なバリエーションあり、屋台風の店から超高級店まで日本人全員を相手にしている懐の広さありと、焼き鳥の魅力は語り尽くせません。
古新聞を眺めていると、焼鳥屋を舞台とした物悲しい事件がいくつも見つかります。
悲しきニセ判事は焼鳥を喰い倒す
大正14年(1925年)1月8日付の読売新聞に「焼鳥喰倒しのニセ判事/警察で居丈高」という短い記事が載っていました。
「ニセ判事」が焼き鳥を「喰倒し」て、「警察で居丈高」というのですから、これはちょっとした事件です。
まあ無銭飲食ですね。それでも新聞に載ってしまうのはわざわざニセ判事を名乗ったからでしょうか。
記事によると、東京・亀戸の露店焼鳥屋で「大丼に列(なら)べた焼鳥全部を食ひ倒して亀戸署の厄介になっている某(39)」なる男がいて、その男が署内で「オレは大審院の判事だぞ」と暴れ回って「警官をなやました」とあります。
大正末期の新聞の特徴なのか、句読点なしの全1文という極めて読みにくい仕様です。ですが、「なやました」という終わり方が何とも良いです。
それにしても焼き鳥をたっぷり無銭飲食して「亀戸署の厄介」になった男が、署内で判事を名乗って暴れたので「警官をなやました」という、それだけの記事です。
なのに新聞紙上ではこの男、実名が記されています。記事は「警官をなやました」というところで終わってしまっていて、この男が判事ではなく何をなりわいにしていたのか、どうして無銭飲食をしたのかなどはわからずじまいです。
それでも何となく味わい深いものを感じるのは、舞台が焼鳥屋だからではないでしょうか。
無銭飲食するぐらいだからお金を持っていようはずがありません。身なりも判事には到底見えない、粗野なものだったでしょう。
庶民がふらりと立ち寄れる焼鳥屋だからこそ、そんな男も受け入れられたし、大丼に並べた焼き鳥を喰い倒すこともできたわけです。
高級料亭だったら入れなかったでしょうから、このちんけな犯罪も起こらなかったと想像されます。
悲しきニセ判事の犯罪は焼鳥屋だから成立し、その物悲しさもあって警官も悩ましかったのかもしれません。
雨中の焼鳥屋台で祝杯挙げて悪事が露見
「雨が絞らした悪智慧/焼鳥屋で大気焔の3人」という内容がわかりにくい見出しが踊るのは、昭和6年(1931年)7月14日付の同紙です。
東京・板橋の屋台店焼鳥屋で「そぼ降る雨をよそに大気焔をあげている3名の朝鮮人があるを密行中の板橋署員が不審に思い」、取り調べたところ3人は長雨で仕事がなくなった「ルンペン労働者」で、困り果てた挙句「悪智慧を絞って知人間を朝鮮同潤会を開くから加入してくれとふれ回り」、数人から会費と称して50銭ずつを詐取、「その金で電気ブランをあふつていたものと判明」したというのが大筋です。
昭和初期の50銭がどれほどの価値だったのでしょうか。
昭和5年のお米1升(1.5kg程度)の値段が大体18銭だったといいますから、現在の白米の価格を10kgで3,000円とすると18銭は450円相当になります。50銭なら1,250円くらいの計算です。
5人から会費を詐取したとして合計6,250円ですから、3人で飲もうとすると屋台の焼鳥くらいが精一杯ということだったのでしょうか。
これまたケチな犯罪ですが、首尾よくいったと祝杯を挙げたのが屋台の焼き鳥というのがまたチープでぐっと来ます。記事が伝えているように、そぼ降る雨の中を、屋台の焼き鳥で大気焔なわけです。
犯行が上手くいって、よほどうれしかったが金はさほどなかった。そんな懐事情が推測できます。屋根のある焼鳥屋で大気焔をあげたなら板橋署員も気付かなかったかもしれませんね。
生活困窮の母は2児を焼鳥屋に捨てる
物悲しい記事は同年8月22日付にもありました。見出しからして「焼鳥屋へ2児を捨つ/姿を消した母親」です。
読まないうちから涙があふれます。
記事によれば、東京・千住の焼鳥露店で子供2人を連れた27~28歳の女が「焼鳥12銭を食しているうち隙を窺って女のみ姿をくらました」という事件でした。上述の計算で現在価格に直すと300円、ということは3本くらいだったのでしょうね。
残された6歳の姉と4歳の弟の2人、露天商は捨て子と判断して千住署へ訴え出たとあります。
記事は続けて、子供は「父はしばらく何処かへ行っている」と言い、「遺留された風呂敷包の中には女単衣3枚と玩具などもあり各所を点々するうち女手一つで困った揚句捨てたものとの見込み」と記しています。
幼子2人はその後どうなったでしょうか。逆境にめげず焼き鳥をむしゃむしゃ食べて元気に育ったのでしょうか。
やむなく子供2人を捨てざるを得なかった女も、金はないが親切と相場は決まっている下町千住の焼鳥屋に預けたつもりで子供を捨てたのではないかしらん、などと想像は膨らみます。
これも料亭だったら裏口あたりに捨てるしかないでしょうから、お話は違った展開になったことでしょう。良かった、本当に、焼鳥屋で。
まだまだ日本が貧しかったころの悲しい物語です。苦しさや悲しさを全部包み込んで、焼き鳥は滋味深い味になる……かな? では、また次回。
※文中に気になる単語があるかもしれませんが古新聞の原文を尊重しているだけですので差別的な意識などは微塵もありません。旧漢字旧仮名遣いは適宜使ったり新漢字に直したりしています。ご了承ください。
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