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最上の肉だよ羊肉食べようよと旗を振る

 「その香気は慣れない人は嫌ふが、一度味が解ると、何人も美味とします。」

 大正3年(1914年)6月9日付の読売新聞に掲載されたこの食品は何か、といえば羊肉でした。見出しも単刀にして直入の「羊肉を勧めたい/獣肉中の最上品」となっています。

90年先を見越した先見の明!?

 ジンギスカンが発祥の地である北海道以外でブームになったのは2005年前後のことですから、この記事は90年くらいの先見の明があったことになりますね。

 記事によると、当時の羊肉需要は「欧米及び志那では盛(さかん)に賞用するが、まだ我国では一部の人が珍味とするに過ぎません」とありますから、羊肉はまず一般の食卓に上がるものではなかったようです。

 羊は本来食用獣であり、「屠る時に少しも騒がないこと、丁度俎(まないた)の上に載った鯉と同じ様」だと記事は伝えています。食用を勧める記事に屠るさまが一緒に書かれているのはどうかな…と思いますが、そういう時代だったのでしょう。

大正の羊肉料理は脳フライ

 私は羊肉と言えばジンギスカンを思い浮かべてしまいますが、大正時代の東京近辺ではそうではなかったと見えます。記事にある調理法は「腿肉は蒸焼、肋骨のついた背肉は焼肉とし、その他はシチューとし、舌は煮て酢漬けにし、脳、肝臓はフライ」と記されています。

 舌を煮て酢漬けにした料理は何というメニューなのでしょうか?そして羊の脳のフライは、うーん…という感想です。

 さて、記事が羊肉を勧めたい要素として挙げているのは、(1)牛肉より繊維が細く組織が粗いので消化が良い(2)脂肪の少ないものは鹿肉に劣らない(3)脂肪の多いものは一種の香気があって風味良く、獣肉中最上品……の3点でした。「鹿肉に劣らない」というのは何が劣らないのか不明です。そもそも鹿肉も食べないし。

羊毛と羊肉で一挙両得?虻蜂取らず?

 明治43年度の調べでは、羊肉の国内需要は6万3000斤(37.8トン)だったといいます。内国産はその3分の1で、残りは「豪州または志那からの輸入」だったと記事にあります。

 記事の最後は、農商務省種畜場長氏のこんなコメントで締めくくられていました。

 「食用されるのは緬羊でその優れた毛は毛織物として、需要が益々多くなるばかりですから、我が当局者は飼養を盛に奨励して居りますそして羊毛の輸入を防ぐと共に、美味な肉を廉(やす)く供給されるやうになるのは一挙両得と云ふべきであります」

 何となく政府のPRだったのかな、という気がします。いずれにせよ、農商務省の思惑通りには進まず、羊肉需要が盛り上がるには90年の歳月が必要だった、というわけですね。

 多分、当時の羊肉は臭くて不味かったんじゃないかな。では、また次回。

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