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なぜフォルケホイスコーレはデンマーク発祥なのか?#02

10月31日(日)に実施した奈良フォルケホイスコーレ主催イベント。

【フォルケホイスコーレはなぜデンマーク発祥なのか】

第3回目のゲストスピーカーは現在デンマーク王国法務省で勤務されているエミールさんをお迎えしました。

当日は総勢30名を超える方に参加していただきました!
▼イベントの様子

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1、エミールさん プロフィール

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2020年〜 現在:デンマーク王国 法務省 Economic Officer
2020年〜2021年:Conscript Royal Danish Navy
2020年〜2020年:カルーホイスコーレ
2015年〜2020年:コペンハーゲン大学 経済学 修了
(大学では、Politic Scienceを専攻)

◉その他の活動
グリーンランド政府 ワシントンD.C元職員

カルーホイスコーレを選んだ理由は、ご両親が出逢われたのがカルーホイスコーレだったから自分のルーツでもあるフォルケに通いたかったのだとか。
とても暖かいストーリーですよね。


2、なぜデンマークが発祥なのか?

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皆さんに質問です!

なぜフォルケホイスコーレはデンマークが発祥だと思いますか?
ここから先、デンマークの歴史、当時の経済状況なども踏まえて
お話させていただきます!


3、1800年代のデンマークの歴史
〜絶対王政と民主主義の始まり〜

1800年代のデンマークは絶対王政で王様が国を統一していました。
なので、国民の意見を聞いて国を創るというよりかは、王様の考えで国を動かしていたのです。

しかし、1800年代にフランス革命、アメリカ革命が起きました。

フランスもこれまでは絶対王政でもと国が成り立っていたのですが、国民はそれに対して反発をし起きた革命です。

これにより、民主主義という言葉が誕生。

フランスから隣国へと民主主義的考えが行き渡り、これまで絶対王政だった国も国民の意識が変わり【絶対王政】→【民主主義】に変わっていったのです。

4、農民の教育レベル

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1800年代のデンマークは、今とうって変わってとても貧しく貧乏な国でした。国民の95%が農民。酪農を中心に経済を回していたのです。

農民にも階級があり、教育を受けられた国民が圧倒的に少なかったのです。

そのため、デンマーク国民全体的に教育レベルは大変低かったのが当時の悩みでした。

5、グルントヴィのアイディア

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そこに、グルントヴィという1人の牧師が立ち上がり、農民に豊かな教育を提供しようと活動を開始。グルントヴィこそ、フォルケホイスコーレの概念、理念を考えたアイディアマンだったのです。

当時、全土に渡り民主主義的な考えが広がり、それはデンマークにもやってきました。絶対王政がなくなり民主主義になるにあたり1つの恐れが見えてきたのです。

それは、民主主義になっても国民の95%が農民で教育を受けてきていない人が多いことから、民主主義という考えに適応できなくなり非常に弱い立場になってしまうこと。

そこで、グルントヴィは農民に焦点を当てて学校を作ることにしました。

【グルントヴィの考えた学校】
①全寮制
②先祖、歴史を学ぶこと
③1つの大きな学校を作り、そこに全ての国民が通うこと
④生きた言葉で生きるを学ぶ学校
⑤試験資格なし

1つ1つ解説していきます。

①全寮制
グルントヴィがイギリスのオックスフォード大学に視察した際に、全寮制であったことに大変感銘を受けて、そこからアイディアをもらったそうです。

②先祖、歴史を学ぶこと
先祖や歴史を学ぶことで、自分のルーツがどのように国を作ったのか、どのくらい自分たちの先祖がそばらしいのか歴史と共に学ぶことで愛国心が芽生え、それが自分ごとと考えていくきっかけになると考察。

③1つの大きな学校を作り、そこに全ての国民が通うこと
色々な人、階級の人と出会うことでお互いが学びあうと考察。

④生きた言葉で生きるを学ぶ学校
教科書ではなく、生きた言葉で学ぶことが大切だと考えました。
また、自分の専門的な知識をさらに深める目的の学校ではなく、
自分が知らなかった世界や、自分が感じたことない感覚を体現することで
学校が終わった後も自分の力で生きていく力や、自分の将来の可能性を広げることができると考察。

⑤試験資格なし
試験や資格を設けてしまうと、優劣ができたり学ぶ意欲が低迷してしまうことを恐れていました。そうではなく、まず学校に行くこと、きてもらうことを目的にしていたため、そのようなものを設けない方針でした。

6、戦争と言語、文化、国の分断

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(資料提供:エミール)

現在デンマークはとても小さな国ですが、以前は現ドイツ、現デンマーク、現ノルウェー、現スウェーデンこれら全てがデンマーク王国でした。

なので、かなり大きな国ですよね。。。

しかし、デンマークがスウェーデン、ノルウェーとの戦争で敗れ領土を大きく失い、さらに数多くのドイツとの戦争で次第に領土を失ったデンマーク。

1800年代には、現在のドイツ、現在のデンマークの国土に確立しました。当時、デンマークは多くの戦争に負け国民は希望を無くしていた時代。

▼1840年代の南デンマークの現状
注目してもらいたいのが、オレンジ色部分。
デンマーク語、デンマーク文化、ドイツ語、ドイツ文化が入り混ざっていた状況です。

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(資料提供:エミール)

貧乏な国、教育受けれない、戦争には負ける、領土はとられるで、暗黒時代の始まりでした。当時デンマーク国内では後に有名になるアンデルセンが活躍。絶望の縁に立たされていたデンマーク人はアンデルセンの童話を読んで元気つけられたとか。

さらに、追い討ちをかけるように、多くのデンマーク人はデンマークにいても仕方ないと感じ南デンマークとドイツの国境付近に住んでいたデンマーク人はドイツに移住しドイツ人として生活する人も増えました。

この状況に危機を感じた1人の牧師〇〇が【デンマーク語、デンマーク文化(デンマーク人らしさ)】を忘れないために国内に最初のフォルケホイスコーレを設立。

戦争、分断、教育、時代全ての事情が化学反応をお越し、その時代にあったフォルケが誕生をし、たまたま、農民に間で話題となり、口コミで瞬く間に広がったのがフォルケホイスコーレです。

今でもフォルケホイスコーレはユラン島に多く特に南デンマークにあるのが特徴です。

7、最初のフォルケホイスコーレ
-Rødding Højskole-

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最初のフォルケホイスコーレは1844年に設立されたRødding Højskoleでした。残念ながら、グルントヴィは既に亡くなられていました。しかし、彼のアイディアと意志を引き継いだクリスチャン・フローがこの学校を建てました。

目的は、6でもお話した通り、当時は歴史、言語、文化の分断が激しかったことから“デンマーク文化、言語を忘れないでほしい”と言う思いで立てられました。

Rødding Højskoleは、現在もフォルケホイスコーレとして存在しており、時代と共に、学べる科目も変化しています。

毎年インターナショナル学生も少人数(5名ほど)ですが受け入れているそうです。気になる方は、是非チェックしてみてください。

8、最後に

フォルケホイスコーレは現在のデンマークを創った、そのものであり、最初のアイディアを発足したグルントヴィは、デンマークの父と言われている偉大な方です。
(国内では、アンデルセンと同じくらいに有名で知らない人はいない)

1800年代に生きたグルントヴィは当時から、この先ITが発展し社会は時代と共に変わっていく。教育現場、学校も時代と共に変わらなくてはならないし、変わるものだと述べていました。

その意志を継いで、現在もデンマークでは約70校のフォルケホイスコーレが時代と共に方針、科目、対象となる学生を変えつつ今での大切な場所として存在しています。

私たち、奈良フォルケホイスコーレも時代と共に、時代にあった学校創りを目指して活動をしていますので、是非皆様と一緒に日本にフォルケホイスコーレを創れたらと願っています。

編集&ライター:石川未夢



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