乖離


現実が箱庭みたいだと感じる。 この足で行ける場所は限られているし、狭い家で一日の半分は完結するし、18になるまでは好きな時間に外に出られないし、ワープはない。 素手では木を1本切ることも出来ない。道具を使っても難しい。道具を買うにもお金がいる。人の頭は覗けない。 ゲームの方が余程自由で奥深くて、現実らしいと感じる。

現実に閉じ込められている気がする。 思い通りにならなくて、不自由で、不平等で、特に美しくもなくて、モノが存在しているだけの現実。 現実の風の匂いや、人に抱きしめられる温かさよりも、液晶越しの物語──意味や記号、人工的な自然──の方が余程強く俺を揺さぶる。


お酒を飲んでいる時、ゲームをやってる時、ここではないどこか他の世界を認識することができているような解放感を覚える。
朝、夢から覚めるとき…夢から現実へなめらかにうつろうとき、たまに、「あ、今日も現実に閉じ込められてしまった」と感じる。
「現実に閉じ込められている」。それ以外の言い方ができないのが、非常にもどかしい。



苦しいって書くだけじゃなくて、少し考えてみる。机上の、空論だ。そんなこともろくにわからないのかとか、間違っているとか、頭が悪いとか思わないで欲しい。誰も俺を責めないでほしい。もううんざりだ。傷つきたくなんかない。




今の時代なら、VRという手段があるのに、手間をかけて花畑を作る意味がわからない。
わからないなら、どうすればいい?
自分から、意味を見出せばいい。花畑に、その花々が育つまでの手間を。水を吸い上げ、色づいて開く花の命を。人でないシステムがその色と形を作ったという神秘を。

花の感触にしか出せない感動があるから、花を育てる。1年かける価値を感じられなくても、1年かけなければその造形と匂いが世界に存在し得ないのなら、1年かけて育てるのだ。

ああ、わからない。一輪の花が、そんなにも美しいか?そんなにも大切なものか?所詮は、色と形に過ぎない。目の前の一輪の…例えば、道端のハルジオンの花が、人が作ったものなのか、自然の神秘が作り出したものなのか、私には判断がつかないし、たとえその花が育つまでの凄さを聞かされたところで……そう、たとえば博物館でどんなにその作品についての「価値」を聞いたところで、
目の前にあるのはただ、緑の細い細い茎の先に、細い花弁の無数についた花、意味も物語も持たぬ造形物。「ひまわり」の値段を聞いたところで、目の前にあるのは子供の落書き。

(責めないで。頭が悪いって言わないで。劣ってるって言わないで。なんでわからないのって言わないで、そんなのもうみんな知ってるのにって、おまえだけが努力不足で、怠惰に、逃げてきて、意思薄弱、浅慮に、流されてきたから、現実を生きられなくて、本当に大切なものがわからなくなってしまった愚昧な大衆のひとり。

だからわかりたいって思ってやってるじゃん!もう私のこと責めないでよ!わかってるよ!やってるじゃん!なんでできないの!私だって分かりたい!楽な方に楽な方に流されてる自分なんて大っ嫌いだよ!)

結びつかない。到底結びつかない。勉強した事物が、現実に結びつくことがない。助けて欲しいくらいだ。星の瞬きに名前がついたって、夜景の光の揺らぎの理由を知ったって、目の前にある色形と、結びつかない。現実と、頭の中が、結びつかない。

人のLINEの文章と、人の顔が結びつかない。人の名前と顔が結びつかない。歴史と、現代が結びつかない。ほんとうは、数学なんて日常生活に使わないじゃんって思ってる。

人と実際に会うとき、頭の中が覗けないから、現実味がない。目の前にあるのはただの動く肌色で、なんの感慨もない。確かに、声の色や、身振り、手振り、視線、息遣い、肌の温かさ、そんなものから得られる情報は、たくさんあるのかもしれない。だけれど、私は、無音でもいい、温度がなくてもいい、何十キロ何百キロ離れていてもいい。いいや、生きているかさえ問わない、AIだって構わない。心の内を吐露した文章以上に人間を感じるものはない。

…いや、もしかしたら、私は、誰かが喜怒哀楽の心の内を素直に吐露する生きた現場に、一度も居合わせたことがないのかもしれない。ただの一度も、両親が声を荒らげたところを見た事がない。ただの一度も、誰かと殴りあったことがない。
ただの一度も、私は、人というイキモノをまともに、見たことがないのかもしれない。



…付け加えるならば、どんな人間も、(病気で肌が目も当てられないほどグロテスクに荒れているなどでなければ)不細工なんかでは、けしてない。なんなら性器も、汚れているだけで、汚くはない。

だってそれらはカタチを保っている。だから俺の顔よりずっとずっとずっとマシだ。変形したりして、精神を襲ってきたりしないじゃないか。精神を汚染してくるあの、俺の顔のきたなさ、ブサイクさ、人の顔じゃないみたいな異様な醜さ、死ぬまで、目を閉じても、それから逃げられない苦しさに比べたら、全然まったくマシだ。

美味しいお酒でも飲みます。