見えないもの
わたしはどこにいるんだろう。どこにもいないのかな。
わたしだけ頭の中に閉じ込められているみたい。
ここにいるじゃん、ちがうの?
いないんだよ、ううん、居ることができないの、
難しいの、時間とか、スケジュールとか、SNSとか、
いっぱいの言葉と、想像上の悪意と、失敗と、恥と、
ここじゃないものに絡まって、足がつかないの。
なんにも集中できない、うわのそら。
でも知ってるでしょ、ほんとは。ここに足をつける方法。
そう、まあね、手をついて、机の冷たさ、教室の壁、
私が見ている視界以外には、何も存在しないと
言い聞かすの。だってそうでしょ、そうすれば、
過去も、未来も、つらいことも苦しいことも…。
でもできない。怖い。社会から見放されること。お金がもらえなくなること。誰からも見向きもされなくなること。生きていても誰からも愛されなくなること。怖い。世界が怖い。世界が怖い。だけど辛くて苦しい過去も未来も、せめて見ているうちは、背中から刺されることがないからと、そう、見えなかったものに急に背中を刺されることが一番怖くて、最悪の痛みだけは回避したくて、そればかり見ようとしていたら、いつか見えるものさえ信じられなくなって、怖くて、怖くて、
スケジュールをすっぽかしたときの恐ろしさ。
それによって失った信頼や、教授に後から会いに行くチャットの気まずさや、研究室の普段入らない奥の部屋の静けさや、遅刻した教室の授業中の空間に割って入る痛みや、行けなかった日の時間を無駄にしたっていう後悔や、まるまる寝過ごした日の絶望や…それらが積もり積もった、私の中にあるとても巨大な底なしの恐ろしさ、怖さ。恥ずかしくもずっとそれにおびえて、眠れなくて遅刻したり、スマホに張り付いたり、「見なければ失敗することもない」って大事な情報から目を逸らすなんて醜態を晒してる。
本当に怖くて仕方がない。見えないものへの恐怖心が、私を目に見えないものへ執着させる。
時間という概念の恐ろしさ。
時間、曜日、時計という概念があるだけで、人はなにもない場所に操られたように急に集まる。解散する。目に見えているものばかり追って生きていると、目に見えていないもの、悪意、未来予測、スケジュール、約束、そんなものを見逃す。
目に見えない実態のないそれを見失ったら、信頼、予定、情報、利便性、有利不利……。社会的に価値のあるものを逃すことになる。恐ろしくて仕方がない。とりわけ、おおもとの時間が恐ろしい。だって、時間があるから、みんなが一緒の時間を生きていると思うから、
「今こうしている間にも(あの人は、あの企業は、どこどこでは)」「1分でも遅れれば」なんて、くるしい考え方が出てくるんだ。
みんなを一ヶ所に集めたり、成績を比べるための、区切りのものさしができちゃったから、わたしはわたしを測ろうとしてくる社会から個ではいられない。
液晶の恐ろしさ。
液晶は、目に見える世界の他に、もう一つの世界を作り出した。いいや、拡張した、そして覆い被さったというのが近いのだろうか、何もない真っ暗な画面でも、その向こうでは何かがやっている。つねにこの世界では、何かがやっている。液晶の暗闇は、本当の何もない暗闇じゃない。パーテーションみたいに、その向こうは──目に見えない世界は──つねに動いていて、そこでは、つねに価値のある講座が開催されていて、そこでは、つねに人がお金を出すおもしろいコンテンツが流行っていて、そこでは、つねに同い年が活躍していて、そこには、私たちの目に見える世界を、足元から空まで覆うくらい巨大な、無限の奔流があって、私たちは、そこにアクセスして、砂金を拾うように、価値を拾ってこなければならない。そうして私たちの作った価値は、再び液晶の中に戻っていく。
価値は、液晶の中にあり、液晶から生まれてくる。
目に見えないものを逃さないために、目に見えないものを見えるようにするツールから私は離れられない。文字、カレンダー、記録、数字、通知、ニュース、twittter、スマホ。
動画は、あまり見ない。液晶の中でも、youtuberとか、対人コミュニケーションとか、目に見えるものを切り取ったものは疲れる。まったくひどい。
なんで疲れるの?
それは、思い出の恐ろしさ。
思い出は、私の脳でどんどん歪められていく。過去が怖い。まったくひどすぎて信じられないが、「思い出す」だけで悪意に塗れていく。私の中に大きな恐怖があって、それが過去を見る私の目を覆うんだ。言い換えようか。悪意と自己嫌悪に怯えながら生きている脳で、記憶の映画をリピートしたら、フィルムに悪意が重ね焼きされるに決まってる。私の脳みそで上映した映画は、もれなく苦しいホラー映画ってこと。
心の治療が必要だとわかっていながらほっといたからこんなんなったんだ、唾棄すべきだ。いまのわたしにとっては、過去の自分さえ、今の自分の堕落した姿と比べるための、輝かしい他人でしかない。だから過去なんて、いっぺんたりとも思い出したくもない。思い出したくもないホラー映画を量産するばからしさよ、わたしは、自己嫌悪とか、悪意とか、重ね焼きされにくい、一人の時間とか、良くも悪くもない作品とか、ずっと見て、時間を無駄にしてる。みんなは、楽しそうなのに。同じ時間が与えられて、少しは足掻いて、納得して、っていうか、自分を苛むなんて世界一しょうもない行為に醜くも依存しないで、生きているっぽく、見えるのに。
美味しいお酒でも飲みます。